かもかてプレイ中4
- 2010.01.26 Tuesday
- 03:19
無性にかもかてをやりたくなってプレイしました。しばらく触れないと禁断症状が出ますね。見事にかもかて中毒です。
そんなわけでルージョン&ティントア友情Ver.Aをクリアしました!!!(わーわー
お互いの好友は上がるけどイベント発生条件が満たなかったり、イベントを追いかけすぎてルージョンが「友達」止まりだったりとかなりギリギリなラインでしたけど無事に見れて嬉しいです。
双子和解ルートは、またルージョンとティントアの別側面が見れて本当にかもかては深いゲームだ……レハト様飼い殺し決定ですが。ちなみに自分は最終的に「多才な城の一員」になりました。
最終的にルージョンの好友を稼ぐために「一緒に訓練」で魔術ばっかり鍛えてパラ値が200超えでどうにか「親友」までこぎつけるというかなり力技なクリア方法で辿り着きました。ううう。
ティントアの諦めイベントがどれだか分からなかったのですが、ウィキのおかげでどうにか計算できたって感じです。
ティントアの不安定な感じがずーっと気になってたんですよ。ルージョンの自己評価の低さ、「自分という存在」への執着のなさ、そして「自分」というものへのどうしようもない絶望感は「雨天閲覧」や納豆の件でそれこそ痛いぐらい感じ取れてて、だけどティントアはその辺りがちょっと分からなかったので友情ルートでやっと理解できました。愛情ルートでいきなり病み出す理由が友情ルートで明確にされるという、ほんとにかもかてはすごい構造をしてますよね!!
で、ティントア。こんなことを言うのも痛い気がするのですが、彼の信仰観はすごく私と似ていて驚愕したのです。いや性格は全然違いますけど、考え方のある側面が、という意味で。そこでoumi様の偉大さを見せ付けられたっていうか、とりあえずすげえな、という頭の悪い感想しか出てきませんでした。うまく言葉が見つかりません。ううう。
かもかてには鋭い考察をされてる方がたくさんいるのでひょっとしたら既出かもしれませんが、ティントアについてちょっと語りたい。ので語ります。言ってることに一貫性がないな。
で、わざわざゲーム中に「諦め」値が設定されている通り、ティントアは始めからルージョンと和解することを諦めているんですよね。初期の段階で「もうひとり」とまた仲良くしたい、でも無理だろう、という。ルージョンは「ティントアにとって自分の存在は有害でしかない、不要である」と思い込んじゃってるから(そんなことないのにいいい!!)だからレハトさんが一生懸命ティントアに希望を与え続けないと和解がありえない。せつない。でもレハトがんばるよ(誰)。
で、ティントアのこの辺りの諦めの良さはヴァイルともまた違っている。ヴァイルは言わずと知れた外伝とイルアノさんの件で決定的な絶望を味わったことで培われた、経験からくる自己防衛本能のような「諦め」ではないかと思うのですよ。
「期待すると裏切られる」→「そしてそれは決して覆されない(何故ならヴァイルは印持ちだから!)」→「ならば傷つく前に最初から期待しない(=諦め)」なので、レハトさんが登場した際もめちゃくちゃ喜んでいながら(でもいつかいなくなるんだろうな)という諦めがどこかにある。
この辺りは「印持ちであること」の違いこそあるもののルージョンとヴァイルで通じるものがあると思うのですが、でもティントアの「諦め」は、もっと漠然とした確信ではないかと思いました。
「ただひとつの期待」で本人曰く、「でも本当は僕はね、〜なんて思ったことはなかったんだ、昔から一度も」というセリフ。ティントアは何も期待したことがなかった、といいます。世の中は求めても得られないものばかりであるということを揺るぎない事実として知ってしまっていた。それはティントアの観察眼があまりにも鋭かったからなのか。でも本当はもっと単純なことかもしれません。それはイベントから察する限り、「ティントアにとってルージョンが全てだから=ルージョン以外どうでもよかったから」という理由だと思うんですよね。ティントアにとってルージョンは「もうひとり」という名の「自分」であり、「ルージョン」という一人の人間として見ていたわけではなかった。ある意味ルージョンよりも純粋で盲目的だったといえます。その辺りルージョンは聡い子で、ティントアが「もうひとり」という名の「他者」であると自覚している。どんなに依存していたとしても自分とは違う、と理解している。この差は大きいです。
「叶わぬこと変わらぬこと」でもある通り、ティントアにとって両親や他人からの愛は「どうでもいいもの」なんですよね。何故なら最初からそんなものは手に入らないと諦めているから、というよりは「そもそもそんなもの存在しないんじゃないか」という気持ちがあるような気がします。推測ですが。だってティントアはそんなもの(親や他者からの愛)なんて見たことがない。
だから、
愛情ルートでティントアは生まれて始めて「もうひとり」ではない他者からの愛情(=レハトさん)を欲しいと思った時に、それが存在する、と生まれて始めて知ってしまって、どうしたらいいか分からなくなって本当にそれを絶対的なものとして求めてしまい、結果的に(人の感情が揺らぐということ=裏切り)を認められない。何故ならそれを認めると自己を保てないから=病み化、と。すごい作りだなと何度プレイしても思います。キャラクターにブレがない。
つまり、ティントアの諦めは「無関心」とある意味での「他者に対する鈍感さ」によるものではないか、と思うのです。
他者が感情を持った人間である、と実感できておらず、「自分」を定義するものをすべてルージョンに委ねていたからティントアはどこかふわふわしたような不安定な感じがあった……んじゃないかなーと思うのですが、どうでしょうか。
ルージョンは諦めているポーズを取りながら諦められていなくて(そこが人間臭くていとおしいのですが!)、ヴァイルの諦めは「絶望」からくる自己防衛本能だと思うのです。かもかてのキャラは誰もが微妙に諦めていたり期待していたりしているわけですが、トッズは諦めていながらも世の中に自分が夢見ていたような「何か=(純粋さとか、誠実さとか)」があったらいいな、と心のどこかで思っていて。これって憧れですよね。汚い世界で生きていたから、この世界ではないところにはキレイなものがあるのではないか、という期待。
タナッセは「印持ちの苦悩」を察せられる聡い子であり、同時に印持ちではないという劣等感によって嫉妬する自分自身に板ばさみにされていて、しかもそれを自覚してしまっていて、だからいつか自分が誰かを裏切ってしまうかもしれないという「恐怖」に支配されているように思うのです。でもだからといって全部切り捨てられない。それはタナッセが優しい子だからではないかと!!贔屓じゃなく思うのですよ!!
とかいって、タナッセさんの考察は「ひだまりポット」さんが秀逸で感動したのでもういいやという気分なのですが(ええー)
思いっきり他キャラに話が及んでしまいました。戻ります。
でも、ルージョンはティントアを他者である、と理解していて、しかも優秀な方が「ティントア」という定義の中で生きてきた。でもだからといってティントアを憎むほどルージョンは器用ではないわけです。だってティントアはやっぱり大事な「もうひとり」だから。ルージョンは、この世に必要なのはティントアで、自分はこの世に不要な存在である、と幼い頃からいやというほど感じてしまったんですよね。顔も体型も同じ。違うのはルージョンという「中身」だけ。そして周りから繰り返し中身だけを否定され続けるという、どうしようもない絶望感。そこでティントアを憎めばルージョンは楽なのに、それが出来ない。
だってティントアが悪いわけではない、とルージョンは分かっているから。本当はそれが分かるぐらい人間というものに聡い子だから。
ここがね!! もうほんと 泣く ……! レハト様ルージョンをぎゅっとしてあげてくれ頼むからあああ!!!
だから、だからですよ。ここで双子和解エンドでレハトさんが一生飼い殺しになっても悔いはないですよ。魔術200超えでも。
だめだ、もう語っても語っても終わりそうにないのでこの辺にしておきます。和解エンド良かったねほんと良かったね……!!もうこれしかないです。
そんなわけでルージョン&ティントア友情Ver.Aをクリアしました!!!(わーわー
お互いの好友は上がるけどイベント発生条件が満たなかったり、イベントを追いかけすぎてルージョンが「友達」止まりだったりとかなりギリギリなラインでしたけど無事に見れて嬉しいです。
双子和解ルートは、またルージョンとティントアの別側面が見れて本当にかもかては深いゲームだ……レハト様飼い殺し決定ですが。ちなみに自分は最終的に「多才な城の一員」になりました。
最終的にルージョンの好友を稼ぐために「一緒に訓練」で魔術ばっかり鍛えてパラ値が200超えでどうにか「親友」までこぎつけるというかなり力技なクリア方法で辿り着きました。ううう。
ティントアの諦めイベントがどれだか分からなかったのですが、ウィキのおかげでどうにか計算できたって感じです。
ティントアの不安定な感じがずーっと気になってたんですよ。ルージョンの自己評価の低さ、「自分という存在」への執着のなさ、そして「自分」というものへのどうしようもない絶望感は「雨天閲覧」や納豆の件でそれこそ痛いぐらい感じ取れてて、だけどティントアはその辺りがちょっと分からなかったので友情ルートでやっと理解できました。愛情ルートでいきなり病み出す理由が友情ルートで明確にされるという、ほんとにかもかてはすごい構造をしてますよね!!
で、ティントア。こんなことを言うのも痛い気がするのですが、彼の信仰観はすごく私と似ていて驚愕したのです。いや性格は全然違いますけど、考え方のある側面が、という意味で。そこでoumi様の偉大さを見せ付けられたっていうか、とりあえずすげえな、という頭の悪い感想しか出てきませんでした。うまく言葉が見つかりません。ううう。
かもかてには鋭い考察をされてる方がたくさんいるのでひょっとしたら既出かもしれませんが、ティントアについてちょっと語りたい。ので語ります。言ってることに一貫性がないな。
で、わざわざゲーム中に「諦め」値が設定されている通り、ティントアは始めからルージョンと和解することを諦めているんですよね。初期の段階で「もうひとり」とまた仲良くしたい、でも無理だろう、という。ルージョンは「ティントアにとって自分の存在は有害でしかない、不要である」と思い込んじゃってるから(そんなことないのにいいい!!)だからレハトさんが一生懸命ティントアに希望を与え続けないと和解がありえない。せつない。でもレハトがんばるよ(誰)。
で、ティントアのこの辺りの諦めの良さはヴァイルともまた違っている。ヴァイルは言わずと知れた外伝とイルアノさんの件で決定的な絶望を味わったことで培われた、経験からくる自己防衛本能のような「諦め」ではないかと思うのですよ。
「期待すると裏切られる」→「そしてそれは決して覆されない(何故ならヴァイルは印持ちだから!)」→「ならば傷つく前に最初から期待しない(=諦め)」なので、レハトさんが登場した際もめちゃくちゃ喜んでいながら(でもいつかいなくなるんだろうな)という諦めがどこかにある。
この辺りは「印持ちであること」の違いこそあるもののルージョンとヴァイルで通じるものがあると思うのですが、でもティントアの「諦め」は、もっと漠然とした確信ではないかと思いました。
「ただひとつの期待」で本人曰く、「でも本当は僕はね、〜なんて思ったことはなかったんだ、昔から一度も」というセリフ。ティントアは何も期待したことがなかった、といいます。世の中は求めても得られないものばかりであるということを揺るぎない事実として知ってしまっていた。それはティントアの観察眼があまりにも鋭かったからなのか。でも本当はもっと単純なことかもしれません。それはイベントから察する限り、「ティントアにとってルージョンが全てだから=ルージョン以外どうでもよかったから」という理由だと思うんですよね。ティントアにとってルージョンは「もうひとり」という名の「自分」であり、「ルージョン」という一人の人間として見ていたわけではなかった。ある意味ルージョンよりも純粋で盲目的だったといえます。その辺りルージョンは聡い子で、ティントアが「もうひとり」という名の「他者」であると自覚している。どんなに依存していたとしても自分とは違う、と理解している。この差は大きいです。
「叶わぬこと変わらぬこと」でもある通り、ティントアにとって両親や他人からの愛は「どうでもいいもの」なんですよね。何故なら最初からそんなものは手に入らないと諦めているから、というよりは「そもそもそんなもの存在しないんじゃないか」という気持ちがあるような気がします。推測ですが。だってティントアはそんなもの(親や他者からの愛)なんて見たことがない。
だから、
愛情ルートでティントアは生まれて始めて「もうひとり」ではない他者からの愛情(=レハトさん)を欲しいと思った時に、それが存在する、と生まれて始めて知ってしまって、どうしたらいいか分からなくなって本当にそれを絶対的なものとして求めてしまい、結果的に(人の感情が揺らぐということ=裏切り)を認められない。何故ならそれを認めると自己を保てないから=病み化、と。すごい作りだなと何度プレイしても思います。キャラクターにブレがない。
つまり、ティントアの諦めは「無関心」とある意味での「他者に対する鈍感さ」によるものではないか、と思うのです。
他者が感情を持った人間である、と実感できておらず、「自分」を定義するものをすべてルージョンに委ねていたからティントアはどこかふわふわしたような不安定な感じがあった……んじゃないかなーと思うのですが、どうでしょうか。
ルージョンは諦めているポーズを取りながら諦められていなくて(そこが人間臭くていとおしいのですが!)、ヴァイルの諦めは「絶望」からくる自己防衛本能だと思うのです。かもかてのキャラは誰もが微妙に諦めていたり期待していたりしているわけですが、トッズは諦めていながらも世の中に自分が夢見ていたような「何か=(純粋さとか、誠実さとか)」があったらいいな、と心のどこかで思っていて。これって憧れですよね。汚い世界で生きていたから、この世界ではないところにはキレイなものがあるのではないか、という期待。
タナッセは「印持ちの苦悩」を察せられる聡い子であり、同時に印持ちではないという劣等感によって嫉妬する自分自身に板ばさみにされていて、しかもそれを自覚してしまっていて、だからいつか自分が誰かを裏切ってしまうかもしれないという「恐怖」に支配されているように思うのです。でもだからといって全部切り捨てられない。それはタナッセが優しい子だからではないかと!!贔屓じゃなく思うのですよ!!
とかいって、タナッセさんの考察は「ひだまりポット」さんが秀逸で感動したのでもういいやという気分なのですが(ええー)
思いっきり他キャラに話が及んでしまいました。戻ります。
でも、ルージョンはティントアを他者である、と理解していて、しかも優秀な方が「ティントア」という定義の中で生きてきた。でもだからといってティントアを憎むほどルージョンは器用ではないわけです。だってティントアはやっぱり大事な「もうひとり」だから。ルージョンは、この世に必要なのはティントアで、自分はこの世に不要な存在である、と幼い頃からいやというほど感じてしまったんですよね。顔も体型も同じ。違うのはルージョンという「中身」だけ。そして周りから繰り返し中身だけを否定され続けるという、どうしようもない絶望感。そこでティントアを憎めばルージョンは楽なのに、それが出来ない。
だってティントアが悪いわけではない、とルージョンは分かっているから。本当はそれが分かるぐらい人間というものに聡い子だから。
ここがね!! もうほんと 泣く ……! レハト様ルージョンをぎゅっとしてあげてくれ頼むからあああ!!!
だから、だからですよ。ここで双子和解エンドでレハトさんが一生飼い殺しになっても悔いはないですよ。魔術200超えでも。
だめだ、もう語っても語っても終わりそうにないのでこの辺にしておきます。和解エンド良かったねほんと良かったね……!!もうこれしかないです。
雑誌にはssも載り、イベントも盛りだくさんで良いことずくめなのですが
素敵なブログさまのプレイ感想を読むだけで満足してしまいます。
同人様のゲームは布教のために本当に好きな作品を作って下さっているのが
分かるので、つい入れ込んでしまいます。かもかては、あちこちで大絶賛の
嵐で「同人天国」の円盤からDLしたはいいが、あまりのエンディングの多さに「こら、一生かかっても見れへんのとちゃうか」と呆然・・・。
なんといっても性別が未分化というのが凄い!男か女かで全然違う話になってしまう。
世界観がイメージしやすいところはありそうですね!
かもかては本当に中毒になるゲームですよ!
性別未分化なので色々な可能性があって、
プレイヤーごとに違ってくるので飽きないですよね。
まずはヴァイル友情エンドぐらいから取り組み、
攻略サイトさんを見ながらお目当てのエンディングを
見ていくのが良いかもしれません。
制作者さんも全部見ることは想定してないようでしたから、
お気に入りのキャラのエンディングを見ていくのが
良さそうです。
でも結局、みんなに愛着が湧いちゃいます……!