図書室のネヴァジスタ

  • 2013.05.06 Monday
  • 23:17
図書室のネヴァジスタ


まず最初に、繊細なグラフィック、演出の妙、音楽、どれを取っても素晴らしい作品です。
シナリオに関しては、結末に至るまでの過程は非常に面白く、
ハラハラさせられました。それと同時に、人によってはかなり生々しい感情を
引き起こさせられる作品でもあると思います。
また、本作の真骨頂は個別ルートにあり、過程の盛り上がり、様々な伏線、
絡み合うキャラクター同士の感情の揺れ動きと
一気に結末へと向かう様は凄まじいものがあります。
それだけに、安易なハッピーエンドで終わったのは残念でした。

以下ネタバレ感想。
1.「ネヴァジスタ」とはどのような物語なのか?

「図書室のネヴァジスタ」は、
幼少期における心的外傷を持ち、
機能不全家族で育った人(アダルトチルドレン)の物語です。

「イネイブラー」という単語を出したことからも、それは明らかだと思います。
こうしたアダルトチルドレンの役割を負ったキャラクターを出した時点で、
心理学を多少なりともかじってこの物語を書いているのは明白です。
にも関わらず、著しく中立性に欠ける作品でした。

全般として登場人物に肩入れしすぎであり、母性的アプローチに終始して
父性的アプローチに欠けているのが、作品全体における
バランスの悪さの原因だと考えます。

まずキャッチコピーが、
「あなたは望んで、大人になりましたか?」ですので
最終的にはそんな「子ども」側の心を救済し、
「大人」になるべく自立へと促す物語なのだと思っていました。
違いました。
この作品は「子ども」を徹頭徹尾肯定し、礼賛し、母性的なアプローチで包み込んでいます。
自立へと促す父性的アプローチは、どちらかといえば歓迎されません。

何故ならば、この作品において
「大人」とは、なりたくもないのに仕方なくなるもので、
可能であれば永遠に子どもであるのが望ましい
からです。
どうしようもないから仕方なく大人になるのです。
大人になることへの希望めいた示唆は一切ありません。




2.何故「ネヴァジスタ」はダブル主人公なのか

本作がダブル主人公なのは、彼らが「父性」「母性」の象徴であるためです。
賢太郎は「父性」の象徴であり、父性的アプローチで子どもたちと接していきます。
対する槇原は「母性」の象徴であり、母性的アプローチで子どもたちと接していきます。

父性と母性の象徴としてわざわざ賢太郎と槇原を用意したこと。
また、この二人の仲が悪いところから、擬似的な険悪夫婦と、
それによる子どもへの弊害を書きたいのだろうと思いました。
恐らくその「子ども」役は元凶である清史郎なのだろうとも。
そして賢太郎と槇原が清史郎以外の少年に肩入れすると
原因を解決できず、結果的によその「子ども」を死なせてしまいます。

人間は「父性」と「母性」、どちらの要素も兼ね備えています。
男性的な側面と、女性的な側面と言い換えても良いでしょう。

思春期の青少年を自立へと促すには、
相手を突き放すような父性的アプローチが不可欠です。
ですが、その役割を本来果たすべき賢太郎は序盤で子どもたちに監禁されてしまいます。
それが清史郎の指示によることから見ても、「自立への拒絶」を暗喩しています。

ですがその二人もまたアダルトチルドレンです。
彼らは不可抗力として、なりたくもない「大人」になってしまったことから
一方的に「子ども」側に責められる羽目になります。





3.津久井賢太郎の背負う役割について

槇原は作中ではっきりと「イネイブラー」だとされていますが、
賢太郎も同じく「イネイブラー」であり、彼は後に「ロンリー」となってしまいます。
「ロンリー」とは、「親や家庭から理解されない悲しみを背負いひきこもる」役割です。
そしてその役割を背負ったまま、賢太郎は「大人」になります。
社会人として仕事をしていますが、精神的には自分の殻にひきこもったまま。
それまで清史郎や家に対して過剰に責任を取っていたのが、
突然すべてを投げ出して無責任になってしまうのです。
白黒思考で極端、どちらもアダルトチルドレンの特徴とされます。

清史郎と突然連絡を断ったのはそのためで、すでに賢太郎の精神状態が
限界に達していたからでしょう。
なのに作中で、誰ひとりその部分に触れることはありません。
賢太郎は「親代わりのくせに冷酷」だとして断罪され、
誰も彼の心情を代弁することはありません。
唯一の味方である石野さんも所詮は他人なので、庇うにも限界があります。
まずこの点が、バランスが悪いです。
古川くんに関するゴシップ記事を書けたのも、彼がアダルトチルドレンであるがゆえに
相手の痛みや価値観を理解できないためです。
だから彼のしたことを許容できるってことでもないですが、
清史郎に比べて賢太郎だけが一方的に責められすぎだと感じます。
古川くんが刺傷事件を起こしたのは事実で、それって槇原のせいだと思うので。
槇原はそれを認めたくないから賢太郎に責任転嫁するんですね。
あと清史郎はもう高校生なんですから手紙を書くだけでなく
実際に会いに行けば良かったのでは?

同じく「子ども」でしかなかった賢太郎が、清史郎の面倒を見るのが
嫌になったとしても誰も彼を責めることはできないと思うのですが、
何故かそうした視点では一切語られません。
清史郎はこれまで自分を育ててきてくれた賢太郎の苦労を汲めるほど大人ではなく、
置いてけぼりにされた自分の痛みで手一杯です。





4.清史郎の背負う役割と行動の是非について

清史郎はアダルトチルドレンの役割でいえば、恐らく「ピエロ」でしょう。
ふざけたりおどけたりして家庭内の問題から注意をそらそうとする役割です。
そしてもう一点、物語として「永遠の少年/ピーターパン」という役割を背負ってもいます。
で、あるがゆえに他の子どもたちは賢太郎と槇原のアプローチによって
自分自身の心の傷と向き合い、最終的には「大人」になることを
前向きに捉えられるようになるのに対し、清史郎にそれは許されません。
だから個別ルートが存在しない。
彼は作品の都合上「永遠の子ども」でなければならず、唯一、擬似的な親として
槇原と賢太郎が個人的に彼の内面に介入する展開にならないのです。
物語のほとんどで清史郎が姿を現さず、出てきたときは清史郎の計画を阻止し
みんなで温かく出迎えていきなりハッピーエンドになる。
他の子どもたちと比べ、清史郎の内面に迫る描写がほとんどないのが、
唐突なハッピーエンドと清史郎がやろうとした計画の残虐性の比重が取れておらず
バランスが悪いように感じました。
これはもちろん、物語として意図的な措置です。

「ネヴァジスタ」という物語そのものが「永遠の少年」であることを肯定している。
だから物語におけるピーターパンである清史郎は裁かれません。


人の古傷を抉るだけ抉ってみんなの前にさらそうが、
殺人を計画し実行犯を他人(瞠)に押し付けて自分は高みの見物を決め込もうが、
「永遠の子ども」だからということで許容されます。

もちろん、個別ルートで心の傷に向き合った瞬間に「子ども」としての
各個人が「子どものまま死ぬ」というのは象徴的なエンディングで、
創作だからこその表現です。
個別ルートの疾走感と様々な要因が絡みあって一気に転落していく展開は素晴らしかったし、
「子どもの死」というエンディングの表現そのものは好きです。詩的だと思います。
ただ、それが清史郎の慈悲とされて、誰ひとり真っ向から反対意見を唱えるものが
いないのが、違和感にもつながっていると思います。

清史郎は古川くんの自殺とその原因に大好きな兄の賢太郎が関与している事実に
非常に大きなショックを受けます。
そして、自分の中の「優しいお兄ちゃん」「残虐な大人」の整合性が取れず
現実を見つめられないために、賢太郎が変わったのは「大人」になったためだと考えます。
そこで大事な友だちが「残虐な大人」になる前に「子ども」のまま殺してあげよう、と
考えたことから彼は今回の計画を立てるのです。
そうした清史郎の考えは幼稚で自分勝手で、もっと言えば殺人未遂で、犯罪です。
例え苦悩の果てに自殺の道連れにしようとしたのだとしても。

ですが「子ども」のしたことだから、ということで何故か作中ではまったく問題にされません。
母性的アプローチですべてが許されてしまいます。
清史郎は精神的にあまりにも未熟です。「性に関する話題を忌避する」ことから見ても、
精神年齢は恐らく小学生くらいだと思います。
そんな清史郎に
「死ぬほど傷ついたなら相手を殺しても仕方ない」というメッセージを与え、
ろくに反省もさせないままハッピーエンドにするのはとても罪深いと感じます。
本来であるなら、父性的アプローチでもっと叱るべき所業です。
この点もバランスが悪いなと思います。

この作品全体に漂う、
傷つけられたら世界や大人をどれだけ責めてもいい、
相手は何をしても許してくれる。
何故なら「子ども」であるあなたは酷い目に遭ったのだから、
「大人」を存分に責める資格がある。

……というスタンス。しかもそれが全面的に肯定されている。
あまりにも幼稚で、離散的な考えです。
制作側はそんなことは当然承知の上で、それでもハッピーエンドにするために
やむなく取った措置なのだろうとは思いますが、物語として
清史郎に肩入れしすぎだと思います。





5.ネヴァジスタに出てくる女性について

母性的なアプローチをする槇原を何故男性にしたのかは、
きっと制作側の好みだと思うのでいいのですが、
登場人物にろくな女性がいないことも気になりました。
一人や二人いるのはいいかもしれませんが、全員揃って頭が弱いので
制作側は女性に何か恨みでもあるのかと邪推してしまいます。
もしも女性が書いているのなら、そこまでして自身の性別を否定することないと思います。
どうせ社会が勝手に女性を叩くんですから、わざわざ創作でまで叩くことありません。
男性が書いているのなら、あまりにも近視眼的だと感じます。
比較的まともなほうのゆっこでさえ、幽霊棟の子どもたちを嫌う側に回るのが象徴的です。

女性には母性がなく、理性もなく、意志が弱く、
寂しければ傍にいる男と誰とでも寝てしまうのでしょうか?
世の中の女性は本当にそんな人しかいないんでしょうか?
そんなはずはありません。この点もとてもバランスが悪いです。

男性に女性的な側面があるように、女性にも男性的な側面があります。
それは鏡の裏表のようなものでどちらか一方を否定できるものでもありません。
人間は両方の側面を予め持っています。
どっちの比重がより大きいかということが、個性です。
そんなに素敵な男性キャラクターを書きたいのなら、
いっそ作品に女性を一切出さなければよかったと思います。
BL作品を読んでいるようでした。BLで女性が出てこないのはもはや様式美ですが、
ボーイズ作品だと意図がよく分かりませんでした。




6.神波さんについて

神波さんが自分のしたことの重みを本当に理解しているのか少々疑問に感じました。
傷つけられたら相手を傷つけて良いわけではありません。
それを学ぶ機会が、神波さんのそれまでの人生でどこにもなかったと思います。
物語の終焉になっても、です。
彼には楽園の蛇を気取って、人間の良心を試すような気持ちもあったかもしれません。
その期待はことごとく裏切られるわけですが、そもそも、
神波さんには教唆罪という犯罪を犯している自覚がさほどないように思いました。

人を自殺や犯罪、殺人にそそのかすのは、刑法で定められている犯罪です。

彼のしたことを考えると、とても何となく許していいようなものだとは思えない。
神波さんは裁かれ、罪の重さを知るべきです。社会的にも、精神的にも。
でなければ神波さんのそれまでの苦悩が報われないとも思います。
罪を犯したことを無視しないでやって欲しい。
裁かれなければ後悔して償うこともできないんです。
それって本当に神波さんにとって優しいことなんでしょうか?
神波さんがまったく罪悪感を覚えていないのなら、尚の事大人として裁かれるべきです。
だって無抵抗の子どもを犠牲にしたんですよ。
悪人にも事情があったからしょうがないよね、で許される話じゃない。
自首するか、さもなくば自殺するべきです。
自殺を考えるほどの苦悩を背負って、心から懺悔すべき。
いくら彼が内面的に子どものままだとはいえ、大人として責任を取る必要があります。
赦しを与えるのはその後です。
彼は聖職者として、当然分かっているとは思いますが、キリスト教における神は
人間の原罪を赦しているんであって、だから何をしてもいいってわけじゃありません。
赦しを与える前にまず、彼自身が心から悔い改める必要があります。
でなければ許す意味がないと思う。神波さんには、許された重みも理解できないはず。

神波さんと瞠くんが人を悪意へとそそのかした理由は明白です。
保護者に褒めてもらいたいからです。
子どもにとって、幼少期の保護者は神に等しく、ほめられるのが正義だと認識します。
神波さんは母親に父親の復讐を刷り込まれ、そして目の前で母親に自殺される。
親が子にできる最大限の虐待です。いつしか、神波さんはもういない母親への罪悪感と
刷り込みのために人を悪意へと導くようになっていきます。
神波さんは悪魔的な教唆犯ではありますが、サイコパスではありません。
ちゃんと良心があります。ただ、彼は道徳観念が人とズレています。

二人が幼少期に健やかな道徳観念を学ぶ機会がなかったのは、
はっきりと不幸なことです。


それは神波さんに、誰かに大切にされた経験がなかったからだと思います。
けれどそれを学ぶには相手の痛みを知る必要があり、その手段として
叱られたり怒られたり、責められたり罵られたり、関係を断たれたりという形で
傷つくことも真の意味での成長に必要だと感じます。

罪に一方的で独善的な許しを与えるのみで、罰を与えない。
そういった形で学び、更正する機会を大人になってもなお与えないのが、
もしも制作側の意図なのだとしたら、非常に残酷な物語だと思います。

余談ですが、父性的な宗教とされるキリスト教の神父に
父親殺しを計画する神波さんがなっているのは、何か象徴的だなと感じます。
そして聖職者であるからこそ彼は悔い改めなければならない。
その道程は辛く厳しいでしょうが、逃げてはいけないと思います。





7.茅について
彼の背負う役割は「スケープゴート」、のちに「ヒーロー」です。
スケープゴートはそのまま、家庭の平穏を保つために一方的に犠牲になる役割、
ヒーローは外で活躍することで家族の期待を一身に背負う役割です。
「ヒーロー」は兄から受け継がれた役割というのが、また切ない。
白峰を心のよりどころにする様が痛々しかった。
そしてそれが瞠に切り替わっていくのも、それだけ茅が追いつめられてて、
依存する対象がいなければ自分を保てないほどだったのだと思う。
彼は生育環境が過酷としか言いようがなく、非常に病的で、
誰か一刻も早く病院に連れて行ってやれとずっとハラハラしてました。
賢太郎の懸命な姿勢が輝いてたと思います。
清史郎の代わりとして己の中の罪悪感を払拭するために
茅を救おうとしたのだとしても、助けたいという気持ちは紛れもなく本物です。
人を助けるって結局はそういう側面もあるし、動機が不純でも
行動の尊さを一概に否定できないと思います。





8.白峰について
彼の背負う役割は「リトルナース」です。
家の中の問題を何とかしようと奔走し、世話をしたがる役割です。
彼は分かりやすく親から虐待されていたわけではありません。
ただ、弟を亡くしたことで強烈な罪悪感を背負い込みます。
そして白峰は両親に気を使わずにはいられないでしょう。
自分のプライドを捨ててまで賢太郎の精神を救おうとしたはるたんが
いじましく、応援せずにはいられません。
あと、監禁することの是非をきちんと描いてたのは好印象でした。
誰かを守ることで救われる物語だったと思います。





9.咲について
彼の背負う役割は「プラケーター」、なだめ役、小さなカウンセラーです。
しかも咲の場合、子どもとして振る舞うことを許されません。
早い段階から男としての役割を求められる残酷さ。
あまりにもあまりな事態に心が痛かったです。
「愛している」というのは一方的な感情だと改めて思いました。
その愛に押しつぶされそうな咲が見ていて辛く、精神的に厳しかったです。
何で花はあんな風に不安定なんでしょうか。
石野さんが作中唯一のまともな「大人」で、とても格好良かったと思います。
あと神波さんが卑劣すぎて……
依存対象であった神波さんに立ち向かう姿は、勇ましかったです。
擬似的な父親として見ていた神波さんに反発し、戦い、乗り越えていく咲の
分かりやすい自立の物語だったと思います。





10.レンレンについて
彼の背負う役割は「ロスト・ワン」、存在しない子の役割です。
父親からの関心を求めるあまり、再婚した母に手を出してしまいます。
親から与えられるべき無償の愛を受けられず、自分の存在意義を
小説に見出していたレンレン。
レンレンの不器用な愛情表現や槇原への一途な慕い方には
思わず心動かされました。かわいいやつです。
世話好きなところも、元は関心を集めるためなのですよね。
ていうか、神波さんもそうですけど吾郎さんが鬼畜でびっくりしました。
なんという面の皮の厚さ。驚きました。
よく生きていて恥ずかしくないですね。ゴミクズだとしか思えない。
個別ルートとしては伏線の回収と過去が明らかになるまとめ的なルートで
魅せ方が圧巻でした。それにしても、神波さんが兄弟だと知って
仲良くなろうといそいそしてるレンレンが本当に不憫です。
殺したくなるほどの憎悪を持ったっておかしくないのに……
純粋すぎるだろ……それだけ兄ができたのが嬉しかったのか……
レンレンがどれほど孤独で人との繋がりに飢えてたのかと思うと
涙せずにはいられません。





11.瞠について
彼の背負う役割は「リトルナース」と「ピエロ」の複合です。
瞠は友人の人生を狂わせた罪悪感を覚えています。
あと、自立への階段を登り始めている途中で清史郎に
計画を持ちかけられ、苦悩する様が切なかった。
愛情を一心不乱に求める瞠。
瞠が賢太郎に過剰に突っかかるのは、清史郎への
想いの深さの表れと、父性的なものに対する反発心だと思います。
槇原の卑怯な「どれも選ばない」という選択肢に対して瞠が
出した答えが秀逸なエンディング「ティンカーベル」は
素晴らしかったです。瞠が大人として自立心を発揮し、
己の行動の責任を取ったエンディングだったと思います。
瞠は神波さんによって洗脳されたといっても過言ではない。
神波さんだって似たような立場なのですが、彼が成長しても
いつまでも人の命よりも己の罪悪感を選び続けたのに対し、
瞠は明確に迷い始めています。大好きな友達。
彼らの人生を狂わせたこと。大好きな神波。
だけど神波さんが大好きな友達に実際にしていたこと。

親が世間的な道徳観念を持っていない。
そのことに子どもはなかなか気付けない。
やっと自立心が芽生えたそのときに、ようやく神波さんと
自らの犯してきた所業の罪深さに気付きつつあった瞠。
だけど肉親の情にがんじがらめにされて、神波さんを捨てられない。

瞠の苦悩は察するに余りあるのですが、随分書き込みが
浅いなとも感じました。もっともっと書けたと思います。
その点が残念です。見たかった、という意味で。
瞠もまた、槇原&賢太郎による擬似的な親が介入する余地が
他の子どもに比べて随分と薄いのですが、
神波さんと比べてまだ更生の余地があると思います。
だからこそ父性的なアプローチで瞠くんを更生させてほしかった。
「子ども」礼賛の「ネヴァジスタ」の主旨ではないことは分かっていますが。
瞠にとって神波さんを断ち切るのは並大抵のことではなく
その代わりだったのが清史郎で、瞠はやはり依存した人に逆らえない。
まっとうな倫理観を持ち、精神的にも安定している大人が
瞠の手を引いてやってこそ、カタルシスが生まれたと思います。
ただ、その役目は槇原と賢太郎には明らかに荷が重すぎる。
嘘を見抜いてしまう瞠の相手は務まらない。
「子ども」しかいない本作では、瞠を導ける「大人」はいません。
それが、作品として何とも不憫で、率直に瞠が可哀想だと思います。
瞠にこそ、成熟した精神を持つ大人が必要だった。





12.神波さんと瞠のどうしようもない共依存について
神波さんと瞠はお互いがお互いの保護者であり、
ぐずぐずの泥沼のような、本当にどうしようもない共依存関係です。
ただこの関係性にはうっかり萌えました。
神波さんに必要とされる喜び。
たらい回しにされていた瞠の唯一、傍にいてくれた人。
瞠にとって神波さんはすべてで、そして親の愛を知らない
神波さんにとって瞠は守るべき対象であり保護者でもある。

自尊心とくだらないプライド、庇護欲、認められ、守られる安心感。

お互いの存在によってそのすべてを満たされるのですね。
だから離れられない。
神波さんのすごいところは、瞠という守るべき存在を得てなお、
瞠を守るために更生しようとはならず、徹頭徹尾自分のために
利用することしか考えないことです。瞠を駒にしてしまう。
母の呪いにかけられて、倫理観や道徳観念が崩壊している神波さんには
その自覚もないのかもしれませんが、それにしても
聖職者になったにも関わらず、それまで誰一人神波さんに
影響を与えられなかったのかと思うと残念でなりません。
対して、一途に親(神波さん)を慕う気持ちと憎悪が入り交じって
死ぬほど苦しんでいる瞠のほうが共感はできました。

子どもを犯罪の手先として利用する親、という明確な構図で、
しかも母からそれが連鎖しているからこそ神波さんはやはり罪深く、
裁かれるべきです。聖職者に就いた以上、道徳を学ぶ機会はいくらでもあったはず。
自分で他人に説法を説きながら神波さんが何一つ聖書に心動かされなかったのなら
それは神波さん自身の人間性の問題だと思います。
生まれ育ちのせいだけにはできない。言い訳になりません。
そして、瞠にはまっとうな大人による導きが必要だったと強く感じます。
この二人が、「可哀想な子ども」というだけで終わってしまったのは本当に残念です。






13.総括として

清史郎に「永遠の少年」の役割を背負わせ、
物語が登場人物たちを母性的に守っていることが、
一連のバランスの悪さの原因です。

しかし粗悪な物語であるならば、そもそもここまで語れるほど
内容がないだろうし、興味も湧かなかったと思います。
「図書室のネヴァジスタ」の魅力に心揺さぶられたのは否めず、
罪が罪を呼ぶ展開とどんどん転落していくシナリオが見事でした。

「人の心を救う」ことの難しさ。
この部分をうまいこと処理してくれるのが信仰というシステムだと感じるのですが
この作品は信仰をまともに描くつもりがなく、ではどういったアプローチで
心を救う作業をするのかと見ていました。

で、結論としては他人である「大人」が無条件に彼らを受け入れ、
許していくという手段を取ったのがあまりにも非現実的で、
正直言って、夢物語だなあと思ってしまいました。
そこに恋愛が絡まないからこそ、です。
それって、神の愛の領域に入ってしまうと思う。
もしもそうでなければ、傷の舐め合いだと感じます。
それは個々人の自立と成長を阻害して依存を助長すると思うし、それが
作品を通してハッピーエンドとして定義されているのが納得いきません。
ただ、そうして「子ども」であることをひたすら賞賛して甘やかすのが
「ネヴァジスタ」なのだとも思います。

永遠に幼少期の傷を背負って苦しむか、
幼児性が抜けないまま年齢だけを重ねたものが
結果として「仕方なく」、「大人」になってしまうけれども
同じ傷を持った者同士で慰めあい許し合って生きていこうというのは、
結末としてあまりにも後ろ向きで、理想論に過ぎると思いました。

ここまで重箱の隅をつつくように小姑めいたことばかり言うのもフェアじゃないので
幼少期の傷を乗り越えて成熟した精神を持つ「大人」とは具体的に何なのかを
述べてみます。

(1)自分の評価軸が自分にあり、他人に評価を委ねない
(2)自尊心が高く、自信がある
(3)過去の傷に自分なりに向き合い、昇華している
(4)健やかな道徳観念を持っている
(5)自分の言動に責任を持つ
(6)嫌なことは嫌だと言える

異論や不足があるかもしれませんが、大体こういう意味で
成熟した精神を持つ大人、という単語を使用しています。

気になったのは、この作品に登場する大人の誰ひとりとして
自分の行動の責任を一切取ろうとせず、甘い誘惑に流されてしまうことです。
物語が結末を迎えた後もです。見事なまでに誰一人責任を取りません。
「子ども」であることをここまでして賞賛し、肯定しているのは
いっそお見事だとも感じます。主張が徹底していて潔い。

しかし、いくら神波さんが悪魔的な教唆犯だからといって、その誘惑に誰一人抗えず
全員が揃って近親相姦や殺人を犯してしまうというのは、作品として
作品としてバランスが悪いと思いました。
誰か一人ぐらい抵抗してもいいのでは……。

ただ、バランスが悪いから「物語として粗悪である」という意味ではありません。
読ませるシナリオだと思いますし、人の心を強く揺さぶる物語です。
だからこそ人気が出た作品なのだと思います。
それは文章として、大きな意味があります。
子どもであることへの憧憬を覚えずにはいられない物語。
ただ、主張が一方的すぎて対立意見が用意されていない、と言っています。
それは、物語として中立性に欠けていると思います。誤解がないように一応。

ここまで散々バランスが悪いと言ってきましたが、個人的には、
制作側の自己主張が強すぎてちょっとついていけないなと感じました。
主張が一方的すぎても、「そういう作品なのだ」と言われれば
それまでなのですが、生きている以上なし崩し的に
大人になってしまうのだからもうちょっと前向きに
捉えられるように出来なかったのかとどうしても思ってしまいます。
アダルトチルドレンという社会問題を取り上げて、
機能不全家族に実際に苦しんでいる人が少なくないからこそ。

「未完の作品」の持つ美しさに惹かれたからエンディングが
コンプリートできない仕掛けを導入したと制作側が言っていたことから
こうした終わり方をしたのはわざとなのかもしれません。
読後感を考えたのかもしれないし、あとはユーザーが感じ、考えて、
解決策を探してねということなのかもしれません。

ところで、うっかり槇原について語り忘れたのですが
奴はユーザーに愛されてるし作品中で救済措置が不自然に多かったので
さらっと触れるだけにします。
力もないのに半端に手を出して人を助けようとして投げ出すところは
正直言って、あまり好きにはなれないです。
この人にこそ自分の言動に責任を取れと声を大にして言ってやりたい。
大人ぶる前に。
中途半端な優しさって一番残酷だと思います。ゆっこが可哀想。
コメント
管理者の承認待ちコメントです。
  • -
  • 2013/05/13 10:47 PM
こんばんは、コメントありがとうございました!
好き勝手書いてしまったのですが、そう言っていただけると嬉しいです。恐縮です!
清史郎と神波さんは象徴的なキャラクターですよね。
どちらかといえば神波さんのほうが、心理を理解はできるかなと思います。
共感しづらいですが……。
清史郎は、子どもならではの残酷性と自分本位な部分を全面的に肯定されてるのが
気になりました。作品が彼の自立を望んでいないのもあり、違和感が拭えなかったです。
彼は賢太郎が好きなんじゃなくて、自分に優しい人が好きなんだろうなと思います。

瞠ルートは本当に物足りなかったですね。
親子逆転現象など、深く突っ込むほどもっと色々なものが
見えてきただろうし、自立を意識し始めてる瞠と
心から自立を拒んでいる神波さんの対比だとか、
どこまでもたれあって生きるつもりなのかとか、
色々描けるものがあると思うのでそこをもっと見てみたかったです。

「神学校」は心理描写も素晴らしい作品でしたね。
恋愛感情って本当に相手を助けたい、救いたいという理由付けとして
ものすごく納得できますよね。
「誰かに必要とされ、愛されてる」ことが
どれだけ彼らの心を救うかと考えると、
やはり同情だけでは難しい気がします。
見ず知らずの人に、信仰や信念をもたない人が
いきなり両親が子に与えるような愛を与えられるもんじゃないですし。
言ってらした通り、その代替となるのはやっぱり恋愛感情なんじゃないかなと思います。

個別ルートは色々あったけど、みんな少しずつ自身の傷に向き合って
前を向きつつありましたよね。でもそれは清史郎に阻まれてしまう。
大団円エンドにおまけの流星群といい、何かその構成が、
傷ついた子どもは自立したり傷を癒すべきでなく
「永遠に傷ついた子ども」であることを賞賛するように見えて
抵抗があったんです。
それとも他者の介入を否定してるのでしょうか……
自分の傷は自分だけで癒すべき、みたいな。

だけど、ネバーランドに留まってしまった、という表現に
「なるほど!」と膝を打ちました。
本当にそうですね。
となると、物語がピーターパンをモチーフにしてる以上、
これは意図的な措置ということになりますね。
ピーターパンでウェンディは「永遠の子ども」を拒絶して現代に戻りますが
ネヴァジスタは「ネバーランドにずっといればいいじゃない」という結論なのかもしれません。
確かに、寂しくて気持ちが落ち込むエンディングですね。
何だかネバーランドそのものが「死」や「天国」を連想させるだけに、余計に。

ゆっこは自分に責任が取れないことはやらないという
妥当な判断が下せる人でした。
ネヴァジスタでは石野さんとゆっこが
「きちんとした大人」だな、というのは
私も賛成です。

コメント本当にありがとうございました!
  • 大樹@管理人
  • 2013/05/17 12:58 AM
ネヴァジスタのレビュー、興味深く拝見しました。物語に否応なしに惹き付けられ、飽きることなくクリックして楽しめた作品ですが、もやっとしたものがあったのも事実です。管理人さんのレビューで『あー、腑に落ちないのはこれだったか』と思いました。

個人的にコンプ後思ったのは『清史郎が許されるような表現はおかしくね……?』が一番でした。犯罪の片棒担がせた挙句自殺の道を用意し、絶望的な状況とあれば死を選ぶとか……ある意味、神波よりも理解しにくく共感もしにくく、未だにあんまり好きじゃないキャラクターです。

この作品は同人なので、作者側がソフト以外にも作品を作ってより作品を深めています。それらを見ていて思うに、やっぱりそれぞれを断罪しなかったのはわざとであり、後日談小説でも彼らはもがいて喘いで傷付け合ってます。地獄は続く……。社会的に贖罪の機会を得られないのって、ここまで苦しいことなんだとも思いました。管理人さんのレビューが全くごもっともだと思う気持ちとは別に、とことん地獄を書きたいゆえのラストだったんだとも感じています。長文失礼しました。
  • 一之瀬
  • 2013/09/08 3:51 PM
一之瀬さん、初めまして! コメントありがとうございます。
いただいたコメントを公開していますが、
もしも不都合がありましたら仰ってくださいね。

感情を強く揺さぶられる作品でしたので、書きたいことを
書いてしまって不安だったのですが、共感できる部分があったのなら
何よりです。少しほっとしました。

やっぱり清史郎にも、清史郎の扱われ方にも、もやもやしますよね。
私もあまり好きじゃないのですが、彼は物語の中では
愛されキャラなので、そこもちょっと違和感を覚えました。

実は後日談小説を読んでいないのですが、一之瀬さんの仰るように
制作者様の意図的な措置で、地獄を書くためのラストだったら
物語の凄みが増すというか、少しうすら寒いものがありますね……。
社会的制裁がないと、ずるずる罪を引きずり続けなければいけないですもんね。
そう考えると、確かに、そっちのほうが辛いのかもしれません。
そういう視点からネヴァジスタという物語を見ると、
また違った味わいが生まれるように思います。
異なる視点から物語を解釈すると、景色が変化していくようで興味深いです。

示唆に富むコメントをいただき、ありがとうございました!
良かったら、また遊びに来てくださいね。
  • 大樹@管理人
  • 2013/09/09 2:20 AM
はじめまして、図書室のネヴァジスタの感想を拝見させていただきました。
とても面白かったので思わずコメントしてしまいましたが
普段あまり文章を書かないので、読みにくかったらごめんなさい。

私は「ひとごろしのレンジ」のタイトル見るだけで
(吾郎さんいくらなんでも大人げなさすぎ…)と引いてしまうので
管理人さんの感想を読んですっきりしました。彼も彼で大変だったんでしょうけども…。

石野さんは作中ではめずらしい本当にまともな大人ですよね。
初めて登場した時から「この人絶対いい人だ」と思っていたので
当たって嬉しかったです。

清史郎についてですが、許す許さない置いておいて、
彼が作中のキャラにどうしようもなく愛される理由はわかります。
孤独で、自分に自信が無くて、自分が信用できなくて、自分が好きになれない人間からすると
あんな風にまっすぐ向き合って笑って肯定してくれる子がいたら
そりゃ好きになっちゃいますよ。(恋愛的な意味でなく)
清史郎自体は理解できないというか感情移入しにくいのですが。

私は個別ルートでは茅ルートを最初にプレイしたせいか
茅さんが一番好きなのですが
こういったゲームで攻略対象キャラに対して
「お母さんになってあげたい」と思ったのは初めてでした。
抱きしめて生きていてくれてありがとうと言いたいです。

ネヴァジスタは人によって苦手、嫌い、許せないキャラが結構違うので
人の感想を読むのが楽しいです。
ファンディスクには本編で描写が薄かった清史郎と瞠の補完もしているので
機会がありましたらぜひプレイしてみてください。
感想とても面白かったです。
拙文お許しください。
  • 匿名
  • 2013/11/22 12:10 AM
匿名さん、初めまして。コメントありがとうございます!
細部にまで気を使ったのが伺える、とても読みやすい文章でした。

吾郎さんは、自分のことを棚上げしといてそりゃねーよとしか
思えなかったので、作中で普通に許される立ち位置で
ものすごく納得いかなかったです。
この作品は全員がそうなのですが……。

石野さんは期待を裏切らなくて良かったですよね。
実は黒幕、とかいうことにならなくてほっとした覚えがあります。
変に深入りしないところも好印象でした。

確かに、清史郎はああやって人懐っこく近寄っていけるところが
みんなに慕われる要因なんでしょうね。
一緒にいて楽しいだろうし。
でも清史郎に近い全員が全員、見事にヤバイ過去持ちっていうのが、
またなんとも言えないですね……
彼の明るさが引き寄せてしまうのでしょうか。

茅はいじましかったですよね。
私も一番最初に茅をプレイしたのですが、胸が痛くて、
どうにか彼を救済したくて、プレイがしんどかったです。
茅には心から幸せになって欲しいです。

おお、ファンディスクがあるんですか……!
機会があったらプレイしたいと思います!
こちらこそ、コメントいただけてとても嬉しかったです。
ありがとうございました!
良かったら、またいつでも遊びにいらしてくださいませ!
  • 大樹@管理人
  • 2013/11/24 9:02 PM
はじめまして。女性についての意見が目に留まりました。

女性は、女性を悪く描き、批判します。
創作物語や女性の一般意見を読むとそう思います。
少女漫画や特にBL作品にはいかにも悪い馬鹿な女が登場します。

女性は元々潔癖というか神経質です。
ひどい女に嫌な目にあったらそれを憎み軽蔑し、
女性全体への批判になってしまうような。
創作するような頭のいい女性には女が嫌いな人がいると感じます。
嫌な女に否定されたことがあるのかもしれません。

そして、男性も女性を悪く言う。
女性は社会的に弱者の立場で非難されるので、女性は(男性)社会のその意見に同調します。
否定される存在(女性)を肯定することができない。
女性否定は社会に許されている、ので女性にもできる。

女性の悪い面が目につくし、それを批判することは正しいという思い込み。
きつい方の強者の意見に従っている。
そんな父親と娘さんをネットで聞いたことがあります。
男が正しくて、女が悪い、と教育されて自己否定に悩んでおられました。

そして、自分はそんな「悪い女」とは違うのだ、と主張します。
そして、男性(女性にとっての非現実)に夢を見る。
そんな気がします。

私は女性をかばう意見を言いたいです。
男女両方から否定されるからです。

女性は冷静に自らの意見を主張する必要性があると思います。
良いも悪いも含め。自己防衛として。
ナイーブに言ってしまう気がします。

ゲームと無関係な長文を失礼いたしました。
申し訳ありません。

お返事は結構です。
失礼致します。
  • fuyu
  • 2014/12/30 9:54 AM
fuyuさん、初めまして! コメントありがとうございます。
返信不要とのことでしたが、考えさせられる部分がありましたので
勝手ながらお返事させていただけるとうれしいです。

そうですね、仰るとおり、女性側の潔癖症も関係していそうです。
それは男性社会が肯定する女性のモデルケースが、基本的に
「意志をもたない女性」だからだと思います。
そのため、男性社会の基準をそのまま照らしあわせて
女性が女性を否定する傾向が強まるのかもしれません。

>女性否定は社会に許されている、ので女性にもできる。
fuyuさんのこちらの意見には深く頷きました。

でも、そうして女性が他の女性を否定してしまうのは、
そこにかつての自分の影を見るからだと思うのです。
男性社会に否定された女性(=過去の自分)。
昔、理不尽な形で自分自身の女性性を封じ込めた部分が強いため
他の女性が「うまく女性をやれてない」あるいは「女性性をアピールしている」と
「自分も散々否定されてきたのにあいつは許されてる!」という
怒りに変わってしまうところもあるのかな、と考えてしまいました。

>女性は冷静に自らの意見を主張する必要性があると思います。
>良いも悪いも含め。自己防衛として。
>ナイーブに言ってしまう気がします。
まったくその通りだと思います。
弱者側がただ救いを待っていても救いを得られる日は来ないでしょう。
まずは適切に自己防衛することが大切だと思います。
そうすることで、理解を示す男性も現れるかもしれません。

こうしたジェンダー問題の根底にあるのは
「自分は満たされていないのに他人は権利を享受しているから不当である」
「だから権利を享受している人は自分と同じくらい辛酸を舐めるべきである」
という理不尽への怒りと八つ当たりなのかもしれませんね。
男女どちらにも当てはまることですが。

まずは相手に寛容になり、許す気持ちをもっていきたいものです。
自戒を込めて。

示唆に富んだコメントをいただき、ありがとうございました。
拙いブログですが、またぜひぜひ遊びにいらしてくださいね!
  • 大樹@管理人
  • 2014/12/30 5:23 PM
ご感想、拝読させていただきました。実は、この文をお読む前に、私の心の中では「このゲーム凄い!」というのがいっぱいで、不合理や不足について一切考えなかったです。夢中になると冷静な考えを失うとは、やはりまだまだですね私。いろいろ考えはじめるようになって、これも管理人さんのおかげです、本当にありがとうございます。私は中国のもので、日本語を勉強していますが、まだまだ上手ではないので、これからもう一度ちゃんと管理人さんの文を読み、今度こそきちんと全部理解してから、また感想や疑問を申し出すので、そに時はよろしくお願いします。
  • 秋ちゃん
  • 2015/02/23 10:08 PM
秋ちゃん様、コメントありがとうございます。
ゲームはなによりも楽しむことが大事ですので、素直な気持ちでプレイして、満足するのが一番良いと思いますよ!
ネヴァジスタは人の心を強く揺さぶる作品ですし、夢中になってプレイできたのなら、それは価値ある作品だったということです。
ですが、私の感想文がなにか秋ちゃん様の心に響いたのならうれしいです。
中国の方なのですね。遊びに来てくださってありがとうございます。
言語の壁を気にせずブログを読んでくださって光栄ですし、その情熱を尊敬します。
もし良かったら、またコメントいただけると喜びます。
もちろん、遊びに来てくれるだけでも大歓迎です!
コメントありがとうございました!
  • 大樹@管理人
  • 2015/02/23 10:54 PM
お返事、ありがとうございます。管理人さんの応援で、もっともっと頑張れるような気がします(#^.^#)。では、本当の意味の感想を述べさせていただきます。あとで是非、いろいろなご意見を、聞かせて下さい。もちろん、文法や単語などの間違えがあると、時間があればも是非、ご指摘よろしくお願いします。

まず、「責任を取っていない」点では、やはり管理人さんの言う通り、足りない部分だと思います。どんな事情であれ、自分のしたことは自分でちゃんと責任を持たないといけません。これも許しや信じることと同じく重要なことで、子供に伝わなければいけないことだと思います。

そして、賢太郎についての分析も、とても勉強になりました。正直、これまで私は、賢太郎のことをそれほど責めているわけではないし、賢太郎も大変だとは思ったこともありますが、そこまで深くは思っていませんでした。賢太郎自身も「イレイブラー」というときろはとても示唆に富む一文です。本当にありがとうございます。

でも、大人になることへの希望については、私は違いの考えがあります。やはり、私は、「大人になって」ということを、ちゃんと伝わったと思います。例えば槇原先生が最後に清史郎にいった言葉、はっきりは覚えていないが、「お前が大人にならないと、誰が次の子供たちの手を引く」みたいな感じなことかな。それは「仕方ないからちゃんとなれ」ではなく、背中を押すような、勇気をつけるようなことではないかと私は思います。「希望がないと思ったなら、お前がなれ、そして同じことを繰り返えさせるな」みたいな感じ?

雰囲気のことも、確かにおっしゃる通り、
「傷つけられたら世界や大人をどれだけ責めてもいい、
相手は何をしても許してくれる。
何故なら「子ども」であるあなたは酷い目に遭ったのだから、
「大人」を存分に責める資格がある。」
という雰囲気が終始漂ってはいますがあ、これはあくまで「子供側の考え方」だと私は思います。つまり、これは大人向けのメッセージです、という考えはありますかね?私たちのしたことで、子供達を傷づきかもしれないへの警告と、このような子にあったら、どうすればいいかを考えさせたいと、私は思います。まあ.....私が穿ち過ぎだのかもしれませんね(・・;)でもこれは「肯定」だけではなく、物語の外側の私たちには、「一種の問いかけ」でもあると、私は思いたいです。

でも、どうであれ、このゲームは人のココロを動かすいいゲームのことは、きっと変わりがないですね^_^。

とにかく、ここにきってよかったです。ほかもいろいろやっているゲームがありますので、他の感想もいつかは拝読し、もっともっと違う考え方を勉強するつもりなので、その時はまたよろしくね。
長文失礼しました。
ありがとうございます。

  • 秋ちゃん
  • 2015/02/24 4:04 AM
秋ちゃん様、こんにちは。
たくさん感想を書いてくださってありがとうございます。
いろいろ考えさせられました。

「次の子どもたちの手を引くために大人になる」というやさしい考えに
納得ができたのなら、それは素晴らしいことだと思います。

>「一種の問いかけ」でもあると、
なるほど、そういう部分もありそうですね。
すべての大人が傷ついた子どもたちを守って導いていくことが
本当にできるなら、それに越したことはないと思います。
そうした美しい心をもつ大人ばかりの世界になればいいですね。
皆が秋ちゃん様のように優しい心をもっていれば、
世の中はもっと良くなるかもしれません。

私の感想を見て、いろいろ考えたり、感じてくださったりできたなら
書いた甲斐があったというものです。
コメントありがとうございました!またいらしてくださいね。
  • 大樹@管理人
  • 2015/02/24 4:17 PM
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