死神と少女 蒼ルート感想

  • 2014.05.16 Friday
  • 04:21
死神と少女


蒼ルートの感想です。

以下ネタバレ感想。
夢見ていた「理想の王子様」が存在しないと悟り、
やがて憧れから始まる「恋」を知った少女は、
「自分」と向き合い、「自分」を愛することを学び、
ようやく自分と同じ弱さを持つ「他人」を愛する尊さを知る。


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十夜兄さんとの対話は、文字通り、鏡の中の自分と会話しているだけでした。
断っておくと、適度な自己愛は生きる上で大切なことです。
自分を否定せず、かといって過剰に持ち上げず、ありのままのちっぽけな自分を認め、
弱さや欠点を受け入れ、そんな自分を愛してあげる。
その過程を描いたのが十夜ルートでした。
十夜は紗夜が「人格を持つ十夜」を見ていないと知りながら、
それを承知の上で鏡のように、オウムのように紗夜の望む言葉を返し続けていました。
それこそ自分が存在する理由だと信じて。

対する蒼は、紗夜に心酔せず、紗夜の望む言動を取りません。
理解できなければ「何故」と問い返し、納得できなければ拒絶します。
バッドエンドで「愛している」と言った紗夜に「理解できない」
ばっさり切り捨てたところなどが顕著です。
見てるこちらとしては、そら、あんなおもむろに愛を告白されても困るだろうなぁと思いますが
紗夜は十夜を否定してしまい、蒼にも拒絶され、錯乱して
物語を強制的に終わらせてしまいます。
でもここ、多分、蒼からしたら振ったつもりじゃないのがまた何とも言えず……。
蒼は本当に「愛すること」が何なのか理解できないからそう言っただけで。

蒼と紗夜は、どちらもともに「幻想」に囚われた人たちです。

継母から避けられた挙句に自殺され、実母には言葉の暴力を受け、
大好きだった父親には否定されるという幼少期の愛情剥奪経験を経て
心を病み、すっかり心を閉ざしてしまった紗夜。

蒼は幼少期に感情をうまく表すことができなかったがために
(恐らく、死を実感できずに呆然としていたところに)
心ない言葉を投げつけられ、そのままそれを信じてしまいます。
蒼のそばには代わりに怒ってくれる大人も、
「それは違う」と否定する大人もいなかった。
だからこそ、まっさらだった蒼に「死神」という言葉が刻み込まれるのです。
蒼は恐らく、「いてもいなくてもどうでもいい、薄気味悪いちっぽけな子ども」であるより
「死神」であると信じたほうが、心の安定を保てたのだろうなと思いました。
何故なら、「畏れ」という形で他人から存在を認められている、と認識できるためです。
前者だと存在理由を失くして絶望するしかない。

あと、蒼は恐らく西洋圏、ドイツかそれに似た文化で生まれ育ったようなので
彼がそれを信じこんでしまったのはキリスト教の影響もあると思います。
向こうでは宗教的な表現として「悪魔」「死神」なんてワードが
日常生活に普通に出てくることを考えても、蒼の思い込みはさほどおかしくないし、
文化が異なるのに厨二病扱いは気の毒だと感じます。
臥待さんは彼のそうした思い込みを利用してしまったので、
恐らく、訂正してくれる人間は誰一人としていなかったはず。

「悪魔」「死神」の概念だって、もともとは輸入されたものです。
日本は「無宗教」という信仰を持っている国で、「悪魔」「死神」と聞くと
アニメとか映画しか出てこないだろうから仕方ないのかもしれません。
物語にもその辺りは特に描写されてなかったですし。
日本だと「ケガレ」とか「鬼」とかがそれに準じるのかな。
まあ、近年では欧米の若者も無宗教が珍しくないですが。特にネット世代は。

話を戻します。

幼少期の紗夜との出逢い、初めて好意的に接してくれた他人(しかも美少女)、
与えられた本は蒼にとって宝物と呼べるもので、次第に物語の世界に心酔していきます。
しかも、臥待さんに思い込みを利用されたことで、蒼はますます自分こそが
死神だと固く信じるようになっていく。

そんな幻想に囚われた状態で出逢った二人が、
無意識のうちに本と同じやり取りをして幻想を現実化していくのが面白かったです。

心に傷を負った紗夜は、蒼の言動によって救われ、蒼を愛するようになります。
十夜(自己愛)からは決して得られなかった救いを他人から得たことで、
自己愛から他者愛を知り、紗夜は同じものを蒼に与えたいと願う。

自分の存在証明を果たすために死神に成り代わろうとする蒼。
この時点で、蒼は誰かを愛するどころじゃありません。
紗夜を憎からず想ってはいても、自分という存在がぐらついているから
まずは曖昧模糊とした「自分」を成立させることに必死です。
これは蒼にとって、個人の尊厳を確立する戦いです。絶対に譲れない。
日生先輩は偽り、「誰か」に成り代わることで仮初めの「自分」を得ましたが
蒼は日生先輩ほど器用じゃなかった。
どっちも同じ孤独を持ってるのに、日生先輩は無ければ奪いに行くことを選び、
蒼は「死神」という言葉に縋ることを選んだのが対照的で面白いですね。

でも「私にはなにもない」と言う蒼に紗夜が「私がある」と返すことで、
蒼は誰かに愛され、望まれていると感じて、救いを得ます。
エンディングで明らかになった本名ではなく、自分を求めてくれる紗夜が
名づけた「蒼」を名乗ることを選択する、というシーンが象徴的です。

誰かになにかを与えたい、誰かを救いたい。
これまで自己愛に囚われていた紗夜は救ってもらうのを待つばかりでした。
でも、蒼に心の底から救われたことで、誰かを愛する気持ちを知る。
蒼は紗夜に自分を認めてもらったことで、温もりを知る。
そして二人は寄り添って、ともに生きる決意を固めるのでした、めでたしめでたし。
ラブストーリーの王道です。素晴らしいです。

愛する人の名前こそがこの世で一番美しい言葉、なんて
最高にロマンティックです。

それなのに世間様ではこれが乙女ゲームじゃないと言われてるなんて、
どういうことなんでしょうか……え……マジで……?
じゃあ乙女ゲーってなんなの?自分以外の他人のラブストーリーは見たくない的な?
それは幻想に囚われている紗夜ちゃんとはなにか違うのかな?
そんな乙女ゲーム業界の闇がかいま見えて空恐ろしい気持ちになりますね。
女の子が主人公のゲームがやりたいけど他にないから
乙女ゲームをやってる人間にとっては、とても窮屈に感じるので
もうちょっと自由になりたいです。
新しいものを拒んでばかりだと業界は先細りするしかないと思います。

その点において、この作品を敢えて乙女ゲーにぶつけてきた
TAKUYOさんには素直に賞賛を送りたいです。
そうですね、「王子様」はいないんだから現実見ろってことですよね、分かります。

蒼の感想はこの辺で終わりですが、まだ語り足りないので
もう少し更新する予定です。気長にお付き合いいただけると幸いです。
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