華アワセ 唐紅/うつつ編 蛟 感想

  • 2015.09.24 Thursday
  • 03:43
華アワセ 唐紅/うつつ編 (エンターブレインムック)


蛟ルートの感想です。

以下ネタバレ感想。
ミューズ、エンジェル、ディアーと百歳さんと
みことの距離がだんだん近づいてきてるのが見えて良いですね。

「水妹は使い手の殿方との接触で力を増幅させるもの」
とのことですが、百歳さんはどうやって力を増幅してるんでしょうか……
ずっと気になってたのですが。以下の三択でしょうか。

(1)相手はいろは。百歳さんから無理やり。至って事務的に処理。
(2)適当なそのへんの使い手。おやつ感覚で。相手の名前も覚えてなさそう。
(3)まさかのタネカス。

偽唐紅先輩は本物とは演技に微妙な違いがあって、さすがはプロ。
声は同じなんですが、本物と違って、偽物は声に凄みがないといいますか。

さて、序盤のラブコメ風味なノリとは打って変わって、進むにつれ
だんだん不穏な雰囲気がただよい始めてきます。

蛟ルートは、蛟のツキをあざ笑うような、なんとも皮肉な内容でした。

序盤で蛟の提案を断ると、蛟は「自分も少しほっとしている」と言うのですよね。
ほっとしているんですよ。安心している。
つまり、蛟は本心では、蛟一族の掟に従い、
自分の心を殺して生きることを望んではいません。
みことが断れば、蛟は自分の決断に責任を取らずに
一族の掟を無視できるという具合ですね。
そんな蛟の、自分で決めた規範ではなく他者の決めた規範に
依って立とうとしてしまう心の弱さが、悲劇を招きます。

祖父や葵を始めとした一族の者が死んでもなお一族の掟に縛られる蛟。
ここで、一族にこだわるのは蛟自身の問題であることがうかがえます。

彼は依って立つ規範(=一族の掟)に依存している。
それはつまり、自由意志をもち、自分の心に耳を傾け、
言動に責任をもって決断を下すことができない、ということです。

祖父はもう死んでいて当主になっている以上、一族を導くのは蛟です。
しかし蛟の心は一族の当主というよりは、未だに前当主九頭龍の影に隷属したまま。

過剰なまでに性欲を抑え、性欲を否定してきてしまった蛟。
その性欲への嫌悪を、唐紅先輩に投影してしまいます。
マジで握り飯だけでコロッといってしまった単純な蛟先輩は
どんどんみことに惹かれていくからさらに収拾がつかなくなっていく。

願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず


親鸞聖人の正像末和讃の一節を引用しながら偽唐紅先輩へ射かける蛟。
意味はざっくり言うと、

阿弥陀如来の本願力は果てがないため、いかに深く重い罪も重くないYO!
仏の智慧もマジすげーから、どれほど心が乱れても見捨てられないYO!

……ということらしいです。ラップ調でお送りしました。
阿弥陀如来や御仏はちょっとやそっとの罪なんてへっちゃららしいです。
すごいですね。

その後には歎異抄を引用して 八十億劫の生死の罪を滅すべし と来ています。

蛟にとって性欲とは罪悪である。

そんなわけで、その罪をあがなうために蛟は御仏の慈悲に縋るという、胃の痛い展開。
これまでの偽唐紅先輩への罵倒は、性欲を否定する彼の心を移したものだった。

さて、性欲とは本能です。

蛟にとっての性欲とは、姫空木の独善的な愛欲とは大きく違い、
蛟が本当にやりたいこと、すなわち自由意志、心の声の象徴でもあります。

蛟は自分の心の声を否定しているため、当然、相手の心を思いやることができません。
自分の心を無視しているからこそ、相手にも心があることが分からない。
蛟は心の声を無視する苦しみごと、本能を否定してしまっているから。

象徴的だと思ったのは、愛を免罪符にしてみことを束縛しようとするシーン。
うつろひに憑かれた蛟は、
「愛する人には思いやりをもつこと」という母の助言をきれいに忘れ、
みことの意志を否定し、束縛して意のままにしようとします。
自分の心の声に耳を傾けられない人が、相手の心を思いやることができるわけがない。

そしてこのツキで、この蛟をうつろひ=邪に捕らわれた者として描いているというのが、
華アワセが作品を通してユーザーに伝えたがっていることを感じて、
感じ入るものがありました。

他者の規範に身を委ねて思考停止せず、自分で考えて、自分を大切にすること。
それはつまり、自分の心の声に耳を傾けること。
そうして初めて、相手の心を思いやれる。

非常に真摯なテーマだと思いました。

その前に姫空木ルートで、自由意志≠独善 としているからこそ心に響きますね。
意志をもつからといって、ワガママやりたい放題していいわけではない。

さてエンディングは姫空木と同じく二種類。

蛟を救おうとみことが願えば、蛟と向き合うエンディング。

蛟に無償の愛を捧げ、蛟の育て直しをし始めるみこと。
みことを送り出す唐紅が格好良すぎて惚れました。
唐紅には、みことの抱く蛟への母なる愛が、
伴侶に捧げる想い、恋愛感情によるものではないと分かっていた。

安らかに子どもをやり直している蛟の姿が切なくも、やさしいエンディングでした。

続いて囮役を引き受ける選択を下すと仲間はほぼ全滅、
蛟は力ずくで蛟一族の掟に従い、蛟一族の亡霊に依存した生き方を貫き通します。
性欲、すなわち本能(=自分の心)を否定して蛟一族らしく生きる蛟。

しかしそうして得たささやかな幸福を、よりにもよって
自分の心に従って人を愛した蛟の母によってぶち壊される結末は、
すごく象徴的で、切なかったです。

他人のものさしで生きることなく、性欲=本能(=自分の心)を否定せず、
意志をもって生きることを、しみじみと訴えた蛟ルートでした。

自立とは、
欲に従ってワガママやりたい放題に生きることではなく(姫空木ルート)、
欲を否定して他者の規範に従い、心を殺し、自分を否定することでもない。(蛟ルート)

それでは自立とはなんなのか。
続いて、いめ君ルートへ向かいます。

ところで、FF10プレイヤーとしては「祈り子」と聞いた時点で
真っ暗な未来しか見えないのですが、いめ君に救いあるよ……ね? ね……?
コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

応援中

乙女ゲーム「白魔女と運命の恋」 乙女ゲーム「白魔女と運命の恋」

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM