喧嘩番長 乙女 吉良麟太郎 感想

  • 2016.07.03 Sunday
  • 02:07
喧嘩番長 乙女


吉良先輩の感想です。

ちょっと引くぐらい長くなりました。すみません。

以下ネタバレ感想。
吉良 麟太郎

パッケージの青い人です。
キラリンのルートは他キャラとトーンが違って、なかなか味わい深いですね。

彼は追憶に生きている人です。

養護施設時代、主人公にとって「憧れのお兄ちゃん」であり
「いじめっ子から守ってくれるヒーロー」だったキラリン。
そんなキラリンに憧れて、主人公は格闘技を鍛えまくって強くなりました。

吉良は主人公の「幸せになってね」という言葉を「約束」だと受けとめます。
新たな義父に引き取られるとき、吉良の胸は希望でいっぱいだったであろうし、
そしてその後に吉良が家庭で直面した絶望を思うと、やるせない気持ちになりますね……。

幸せになってね。
非常によく見る言葉ですが、深遠な、己の本質を問う一言でもあります。
幸せになるためには、まず幸せとはなにかを知らなければなりません。
頭ではなく、感覚として。

では、「幸せ」とはなんなのか?

毒親に育てられ、家庭がぶっ壊れていた吉良には、「幸せな状態」がわかりません。
恐らく彼にとって最も「幸せ」であったのは、養護施設で主人公と過ごしていた時間です。
しかし、吉良にはそれすらも分からない。
彼はそれまで、「幸せ」と感じたことがなかったからです。
「今が幸せな状態である」と、自分以外の他人と承認し合ったことがない。

暴力を振るう父に怯え、育児放棄の母に絶望し、それでも親を求め。
「幸せ」な状態が具体的に分からない吉良は、恐らく、その「幸せ」のモデルケースを
外部に求めたのだと思います。

「幸せ」は、いかなる状態であれば心が満たされるのか、ということを問う言葉であり、
それぞれの本当の願いが反映される可能性が高まります。
そして自分に向き合っていない場合、あるいは「幸せ」がなんなのか分からない場合、
多くは「幸せそうに見える人」を参考にすることになります。

幼い吉良は、温かな家庭こそが「幸せ」だと考えました。
吉良は温かな家庭を見たことがないため、モデルケースは外部から探すしかありません。
すなわちテレビ、本、あるいは街ゆく人々です。

テレビなどでの一家団らんシーン、あるいは街で見る「幸せ」そうな家族。
例えば、父が子どもを抱っこしていて、母がその様子をにこにこして見守るような。
例えば、笑顔の家族が食卓を囲み、和やかに食事をしているような。
例えば、クリスマスや誕生日には家族で仲良く過ごすような。

友だちがいなかった様子の吉良少年でも、周りの幸せそうな人を見ることは可能です。
どうしてよその家族は子どもがお父さんお母さんと笑顔で話していたり、
家族で出かけたりしているのに、自分の家ではそれがないのか。
どうしてよその家のお父さんは子どもを殴らないのに、自分の家の父親は殴るのか。

そして、やがて吉良少年は気づきます。
「自分の家は他とは違う」「自分の家は幸せな家ではない」のだと。

吉良にとって「幸せ」のモデルケースは「温かな家庭」であり、吉良はついに
それを手に入れることができなかったため、「主人公との約束を守れなかった」と
なってしまうのですね。「温かな家庭」は、現段階では、吉良自身の努力だけでは手に入らない。

主人公は「ヒーローだったお兄ちゃん」の吉良に嘘を吐かなければならないため、
それを忍びなく感じて、吉良を気にかけるようになります。

さて、生きていく上でさして必要のない知識、知る機会のなかった知識には、
人は疎くなります。

それは、例えれば、「掃除の基本は上から下へ」というような知識です。
掃除の経験がなければ、まず上からやらないと後で上を掃除してるときに
ほこりが下に落ちて二度手間になる、ということがわかりません。
あるいは、「落花生の殻は消臭剤になる」というような知識です。
これは誰かに教えてもらうか、テレビなどで目にしていなければ、知る機会がない知識です。

つまりなにが言いたいかというと、
「掃除の基本は上から下へ」「落花生の殻は消臭剤になる」というような知識は、
生きていくうえで必ずしも必要な知識ではない、ということです。
これらの知識がなくても、生きていくことは充分に可能です。

前置きが長くなりましたが、それを踏まえた上で前提として、
吉良にはある知識が欠けています。

それは、
苦しいときに人は誰かに助けを求めてもよい、という知識です。

吉良は生きていくうえで、「苦しいときに人は誰かに助けを求めてもよい」という知識を、
知る機会も、知る必要性もなかったのです。

吉良少年は苦しいときに母や父に助けてもらったことがありません。
子どもが一番最初に接する他人は親です。
育児放棄している母は吉良少年が助けを求めても無視し、
ついに児童養護施設に送られるぐらい切迫した事態になってしまいました。

お腹が空いても母は食事を作ってくれない。
いくら待っても母は家に帰ってこない。
父にいくら殴られても誰も助けてくれない。

そこで吉良は学習してしまいます。

苦しいときに、人はひたすら我慢しなければならない、と。

そして、自分一人の力で問題は解決するものであると。
これは金春にはも当てはまるかもしれませんね。

そんなある日、力を持て余していた吉良少年は児童養護施設で主人公に出逢います。
そこで吉良少年は天啓にも等しい、新たな知識を得ることに成功します。

力は弱いものを守るためにある。

そのおかげで暴力の道に踏み出さずに済み、吉良は新たな道を指し示した主人公に
深く感謝し、特別な存在だと見なす。

そして、主人公との交流を通して、生まれて初めて吉良は存在を承認されます。
すなわち、「妹を守るお兄ちゃん」として。
ひょっとして、テレビなどで「妹を守る兄」の図を見て、吉良少年の中で
「妹=弱いもの」、「兄=守るもの」という知識を手に入れたのかもしれません。

吉良にとって「妹」とは、弱いもの、なのです。

さて、吉良は「お兄ちゃん」の承認を主人公から得たことを大切にしていました。
そして作中で、主人公に背中を押されるかたちで、「ひなこ」にコンタクトを取ろうとします。
ところが主人公は「ひなこ」として吉良に会うことは出来ない。
吉良とのなにげないメールのやり取り。誕生日を祝う言葉。「麟太郎」という存在への承認。
「友だち」として吉良は周囲からも存在の承認を得ます。
このとき、吉良は「誕生日を祝ってくれる友人を持てたことが幸せ」だと明確に感じます。
人に幸せに見えるかどうか聞いていた吉良が、みずから実感するのですね。
それだけでなく、人の誕生日を祝いたいという気持ちになる。
学校を何日も欠席していれば「どうしたのか」と気にかけられ、
誕生日にはサプライズパーティーを開いてもらえて。
それらを得た吉良は勇気を得て、「妹のひなこ」に次なる承認を求めます。
「会いたい」「クリスマスプレゼントを送るために住所を教えてほしい」です。

追憶の中で色鮮やかだった日々、「幸せ」の象徴である妹との日々を、
吉良は取り戻そうとするのですね。

友情ルート。
主人公はこのどちらにも事情があって応えることができません。
意図せず、主人公は吉良の「承認要求」を「拒否」してしまいます。

吉良は混乱します。好意的に見えるのに、妹に近づくことができないからです。
「お兄ちゃん」の承認を得られなかった吉良は、
いわば「お兄ちゃん免許」失格の烙印を押されました。
「妹を守るお兄ちゃん」が妹を守るためには、当然、妹のそばにいなければ守れない。
そばに寄れないということは、「妹を守る」ことを拒否されたに等しい。

追憶の妹から「お兄ちゃん」の承認を得られなかった吉良は著しく自信を失い、
失われた追憶に囚われて現実を見なくなります。その雰囲気が二年全体にも伝わり、
既に得ていたはずの「二年トップ」の承認すらも揺らいでしまう。
吉良にとって価値があったのは「妹ひなこを守るお兄ちゃん」の承認だったため、
「二年トップ」の承認にも興味を失ってしまいます。

さて、ここで、希です。

吉良は、「お兄ちゃん」であることに自信がありません。

そして、希も、「弟」であることに自信がありません。

これは麟太郎と希が、血がつながっていないからです。

家族は崩壊しており、吉良麟太郎は生きるために、自分を守るために家族を捨てました。
私は、希を置いていくことになった吉良を責めるのは酷だと思います。
だって吉良麟太郎はまだ子どもなのです。
彼だって助けが欲しいのです。自分一人で生き抜くだけで精一杯なのです。

そして、非常に大切なことですが、吉良麟太郎にはもうひとつ知識が欠けています。

吉良麟太郎は、
助けを求められていないときにも人を助けてよい
ということを知らないのです。
仮に相手が迷惑そうにしたら「あ、ごめんごめんおせっかいだったわ」と退けばよいのです。
いきなりガンガン行くんじゃなくて、軽いジャブから始めればお互いにダメージは少ない。
例えば「大丈夫?話聞くよ、なにか力になれるなら言ってね」的な。
ここから相手の反応を見て引くか押すか決めればいいわけですが、吉良はそもそも
こうしたコミュニケーションを学ぶ機会が皆無でした。
主人公が学校を欠席し続ける吉良を心配して、「相談してね」と言うまでは。
吉良は「強いもの」が「弱いもの」を一方的に守るという関係でしか、
承認を受けてこなかった。この場合、「強いもの」は誰にも守られません。
「強いもの」は「弱いもの」を守るために一人ですべての問題を解決しなければならない。
しかし、主人公によって吉良は、対等な立場でもお互いに助け合ってよい、ということを学ぶのですね。

そして、吉良自身も生きるだけでいっぱいいっぱいで人を助ける余裕がなかった。
過去に吉良麟太郎が、主人公から助けを求められていないのにいじめっ子から助けてやれたのは、
主人公が吉良に天啓を与えた人で、吉良は主人公がやったことを真似ただけだから出来たことです。
以前の主人公と同じことをしたのだから、主人公にそうした助けを拒絶される可能性は低い。
そのうえ、主人公から「お兄ちゃん」の承認を得ることに成功します。
嫌な言い方をすると、彼は「承認」のためにひなこを助けたともいえますね。
そして、「承認」し合った相手のみを助けるものだと考える。
吉良麟太郎がひなこ以外の人を助けたいという気持ちを強く持てなかったのは、
他の人が吉良麟太郎を承認していない(と吉良が感じている)ためだと思います。
それどころか、彼の経験からして、「吉良麟太郎」を否定される可能性のほうが高いわけです。
特に家族は。だって吉良麟太郎は、家族に肯定されたり承認されたりしたことがなかったから。
主人公に「今日から俺はお前の兄だ」と言えたのは、主人公が吉良よりも弱かったからだと思います。
しかし、理由がなんであろうと、助けた行為そのものに価値があるとは思いますが。

吉良は希を、「弱いもの」だとは認識できてなかったように思う。
「自分と同じもの」だとは思ったかもしれませんが。

吉良麟太郎は今まで問題は一人で解決するものだと思って生きてきました。
ですので、弟の希にも、問題を一人で解決することを求めてしまう。
また、吉良麟太郎の中の「弱いもの」の定義に、希は当てはまらなかった。

吉良麟太郎にとっての「弱いもの」とは、「妹」=「ひなこ」です。
一方、希は「弟」は「男」であり、かつての吉良と同じ立場にいる。
つまり希は吉良にとっては、かつての自分の再現のようにも見えています。
吉良は、自分自身を、「弱いもの」だとは思っていません。
自分の弱さを認められるほど吉良は、その時点では強くない。
だから、吉良は希を「弱いもの」としてすぐには認識できなかった。
希は自分と同じだから、生き抜けるだろうと思ってしまった。

希は麟太郎が家族を捨てたことで、「弟」である自信がさらに揺らぎます。
だけど希には縋れそうな相手が麟太郎しかいないから、なかなか希望を諦められない。
だから義母がいなくなれば何度でも麟太郎の家に向かってしまう。
弟の希にだって、人に助けを求めてよいことが分からないのです。
だけど助けてほしくて、でも麟太郎は自分から踏み込んで助けてくれなくて、
助けてくれないのは自分が吉良麟太郎の「弟」ではないからだと感じてしまい、
それでも兄のように振る舞う麟太郎に苛立って突っかかってしまう。

吉良は恐らく、希が「助けてほしい」と言えば助けたと思います。
母がいなくなったときも「俺のところに来るわけないだろう」という言い草から、
吉良麟太郎と母の間にはかなり深い亀裂があることが伺えます。
それでも希は、吉良麟太郎と母の間に結びつきを見るわけです。
自分にはないもの。求めても決して得られないもの。
すなわち、血のつながり、という結びつきを。

吉良麟太郎は「お兄ちゃん」である自分に自信がないため、
希のツンデレも真に受けてしまいます。

希に「お兄ちゃん」として承認されていない。
「お兄ちゃん」ではないのに図々しく助けてよいのか。
助けようとしたとき、希に拒絶されるのではないか、とか考えてしまうのですね。
彼は「お兄ちゃん」の自信がなく、希とどう接していいか分からないから距離を取っていた。
それは自分の心を、「家族」という外敵から守ろうとする自衛本能だったと思います。

そして希も、自分が苦境にいるのに麟太郎は助けてくれない、
それは麟太郎に「弟」として承認されていないからだと思う。
「弟」ではないのに図々しく助けを求めてよいのか。
助けを求めたとき、麟太郎に拒絶されるのではないか、と考えてしまう。
だって麟太郎は希の相手をしてくれないから。
相手をしてくれないのは、麟太郎が希を弟だと思ってないからではないか、と思うのです。

人は、相手に助けを求めてもよい、という実感のようなものがないと
なかなか助けを求められません。
これは、「自分は助けを求める価値がある人間である」、という自尊心のようなものです。
「助けを求めたときに人は手を差し出してくれる」という確信とも言い換えられます。

希にとって麟太郎は一縷の望みなのです。
助けてくれる可能性が、唯一ある人です。
その麟太郎に拒絶されたら、希には後がなくなってしまいます。
ただでさえ追い詰められてるのに、このうえ心の傷まで受け止める余裕など希にはありません。

余裕がある状態であれば「助けて」と言って人に断られたとき、
「仕方がない」と現実を受けとめ、別の解決策を模索することができます。

しかし、希には別の解決策などないのです。
そして助けてくれる希望があった麟太郎にまで拒絶されたとき、
希は真の意味で孤独である現実に直面しなければならなくなる。
だから希は、麟太郎に「助けて」と言えない。助けてもらえる自信がないから。

これ以上の絶望を、もう希は受け止める余裕などない。
「助けてもらえないのは、自分が助けを拒んでいるからだ」と思ったほうがマシです。
それならば「助けを求めたら助けてもらえるかもしれない」という、
ほんの僅かな希望を心の片隅に抱き続けることが出来る。
誰にも助けてもらえてもらえない、という絶望に向き合わずに済むから。
自分は人にとって、どうでもいい存在だと気づかずに済むから。

吉良は他人に興味がないわけではありません。
未良子のことはものすごく気にかけてますし、義理の弟である希のことも気にしています。
しかし、吉良にはどこまで踏み込んでいいのか、
そして自分は踏み込めるぐらい相手に承認されているのか、ということが
分からないから踏み込めない、傷つきたくないから自衛としても踏み込まないのだと思いました。

友情ルートではいつまでも「ひなこ」=「弱いもの」として見て、
目の前にいる強くなったひなこである「ひかる」ではなく、
追憶の中に生きてばかりの麟太郎の目を覚まさせる流れ。

未良子先輩がすごく良い先輩してて、微笑ましくてとても良かった。
せっかく未良子が「強いもの」として認めた相手である主人公に相談しようとするのに、
主人公も「お兄ちゃん」が「弱いもの」を求めている現実に囚われて
「強いもの」である自覚がすぐに持てないのも、印象深かったです。
そのときの未良子が求めているのは「強いもの」であり「弱いもの」ではない。
主人公はもう強くなったのだから、胸を張って「強いもの」として振る舞えばよい。

キラリンの相手をするときはもう斗々丸ばりに
「ねーキラリン、ゲーセン行こうよレーシングしよ、あっやっぱシューティングにしよ!
 えー嫌だって言ってももうお金入れちゃったよハイこれコントローラーね!」ぐらいの勢いで
ぐいぐい踏み込んだほうが良さそうですね。
キラリン、これぐらいやられるとなんだかんだ付き合ってくれますし。
空気を読みすぎる主人公(彼女も求められなくても人を助けてもよい自信がない)と
人と一線を引いていて素直じゃない未良子ではキラリンを逃しそうになるものの、
無邪気な斗々丸の登場で空気が変わるところも良い。

斗々丸の良いところは、やはり空気が読めるところです。
人の心の機微が分かるから、卑屈にならずに、必要なときには
速やかに退いてそっとしておいてくれる。これは彼が、存在の承認を既に得ているからです。
既に得ているものだから、新たに外部に求める必要がない。

友情ルートでは、「幸せ」とは追憶の中ではなく、
現実の、今周りにいる人たちと過ごす時間にあることに
友人である主人公を通して吉良麟太郎が気づく流れが丁寧でとても良かったです。
「弱いもの」である「妹のひなこ」は、もういない。
その現実を、吉良は受け止めていく。
でもその代わりに、吉良には希や、吉良を慕う友人たち、二年連中がいる。

あとなんといっても見どころは未良子とのタイマンでしょうか。
主人公と希、そして二年連中は麟太郎の背中を見ていて、憧れていた。
麟太郎は「お兄ちゃん」として「ひなこ」から承認をいちいち求めなくても、
既に承認はとっくに得られていて、「誰かのヒーロー」である自覚を持てるようになる。
美しい話だったなあと思います。
それを未良子が気づかせようとするのも含めて。

最後のシーンで、キラリンが希に、妹「ひなこ」に贈ろうとしたブレスレットを
そのまま希に渡そうとして皆にドン引きされるシーンには笑いました。分かる。
「俺にもミサンガくれよ!」は可愛い。
ただこのシーン、キラリンにとってこのクリスマスプレゼントのブレスレットは、
決して希をひなこの代わりにしようとしたから、横着したからではないと思います。

キラリンはこのプレゼントを一生懸命になって選んだのです。
「誰かを守るもの=お兄ちゃんでありたい」という願いを込めて選んだのです。

それはなぜか。
追憶の妹である「ひなこ」から、「お兄ちゃん」の承認を得るためです。

つまり、「きょうだいの絆の証」なのです。
このブレスレットは。

キラリンにとっては「守っていいもの認定証」、「お兄ちゃん免許」の許しを得る申請書のようなものです。
だから、追憶の妹である「ひなこ」に「守っていいもの認定証」を拒否されたことから、
現実の弟である「希」に「守っていいもの認定証」を渡そうとしただけなのです。
「きょうだい」の絆の証として。血のつながりがないからこそ。

まーそうは言っても希が嫌がるのはすげーよく分かるので、
そうした人の心の機微も含めて、キラリンにはまだまだこれから
学ぶものがたくさんあるなーと感じられました。

で、恋愛ルート。
本編で主人公がちゃんとキラリンって呼んでてほくほく。
どこから恋愛ルートに分岐するのか分からなくて友情ルートを二周してしまいました。
つい部屋でキラリンを力の限りぶちのめしてしまい……三周目ぐらいで
やっと気づいて恋愛ルートへ。ていうかいろいろな疑問をとりあえずぶん殴って
ごまかしてるんですから、友情ルート面白いですね。

私は恋愛ルートより友情ルートのほうが好きです。
というのも、恋愛ルートだと主人公=ひなこが明らかになったキラリンは
恋愛にうつつを抜かして家の問題を放置してしまうからです……ノゾミン可哀想。
あとは、友情ルートだと、人の絆の儚さと尊さや、恋愛関係にない相手へ
近づくことの難しさなどが描かれているので、友情ルートのほうが
物語としての美しさがあって気に入っています。

恋愛ルートは、ああまたこのパターンか……というのが正直な印象。
主人公が窮地に陥ってキラリンが助けに行ってヤーさんをぶん殴って終了。
いかにも喧嘩番長乙女らしい話といえばそうですが、これ未良子ルートでも見たよ……

友情ルートであれだけお兄ちゃんになりたがってたキラリンですが
こちらではひなこを恋愛対象と見ることで、お兄ちゃんではなく
恋人になりたいと望むようになるかたちで「お兄ちゃん」への執着をぬるっと卒業します。

しかし、過去は遠くにあって美しいものだから、惹かれてしまうのです。
そんな過去ではなく、厳しくても現在を見る、現在を生きる、というテーマのほうが、
私の心には強く響きました。だからこそ、恋愛ルートで過去の妹が
恋人になった!やった!良かったね!というオチには、もやっとせざるを得ない。
物語のテーマとしては、友情ルートのほうが真摯だったと感じます。
分かってるよ、これは乙女ゲームだから恋愛ルートのほうが正しいんだろ分かったよ。言わなくていいよ。

希が親父に「キラリンはあんたとは違う」と言うところぐらいでしょうか、見どころは。

ところで、主人公はひかるを家族だと思っているため強く出れないわけですが、
私は主人公ほど優しくないので、自分が主人公の立場だったら
ひかるを強請り返すだろうなあと思いました。
だって、真の意味で立場が悪いのは失うものがない主人公ではなく、
ひかるのほうです。主人公はやろうと思えばひかるにいろんなことがお願いできるのになあ……。
ひかるは主人公の情につけ込んでるから……、いやまあ、どうでもいいんですけどね……。

あとは、「家族」への憧れがある主人公が、毒親に対しても、
それでも「家族」のつながりを保つようキラリンに言ってしまうところは、
なんだか切ないなあと思いました。
誰だって自分の夢が、大事にしていたものが
目の前で無残にもぶっ壊れるところを見るのは辛いものです。
主人公の気持ちは理解できますが、こればっかりは実際に親に殴られたり虐げられたりしないと
実感できない痛みだとは思うので、キラリンは主人公を目に入れても痛くないだろうから
どうでもいいけど、本当に可哀想だから希には言ってやるなよ……と思いました。
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