オーディンスフィア レイヴスラシル 死と闇黒の剣編 感想

  • 2016.07.28 Thursday
  • 03:03
オーディンスフィア レイヴスラシル


生きながらにして死の影をまとう、人間にして妖精の国に身を置く剣士
オズワルド編の感想です。

ふわふわっとしたメルセデスの操作とオズワルドはまた違って、
オズワルドもしばらく練習が必要でした。
しかし慣れればバーサーク化は楽しいですね。

オズワルドもスキルコンプしました。
お気に入りの技はなんといってもレイジングヴォイド。
レイジングヴォイドの中で避難したりバーサーク化したり汎用性が高かったです。
ほとんどイービルラッシュとシャドウバイトとかを使ってたのですが
ファントムキラーとか面白くて好きです。
たまに敵が攻撃してこないときとか虚しさを味わうのもまたおかし。
終盤ではナイトメアブラストかな。
ダーインスレイヴはいかにもオズワルドらしい技で良い。

以下ネタバレ感想
オズワルド

有名なかの斉須政雄氏の名言を彷彿とさせる話でした。

「愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。
 もし帰ってくればあなたのもの。
 帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかったのだ」

出典:「調理場という戦場」

グウェンドリン編とオズワルド編では「青い鳥」が印象的に描かれます。
特にグウェンドリン編のラストシーン、夜空の下、想いが通じた二人のもとを
青い鳥が飛び去っていくシーンは非常に美しくて、感動しました。

メーテルリンクの「青い鳥」は、「孫の病気を治すために青い鳥を探してほしい」と
魔法使いのおばあさんに頼まれたチルチルとミチルの兄妹が旅をする話です。
あちこち旅をして捕まえた青い鳥は、所有したと思った瞬間に
すべて別のものになってしまいます。さんざん旅をしたチルチルとミチルは
結局、家で青い鳥を見つけました。女の子の病気も治ってめでたしめでたし――
かと思いきや、この話は最後、すっかり安心したチルチルとミチルが
女の子に餌の上げ方を見せようと鳥かごを開けた瞬間に、
またも青い鳥が飛び去っていくというエンディングで終わるのです。

この話は青い鳥が最後に飛び去るからこそ印象深いといえます。

幸せの象徴である青い鳥は永遠に手に入らないものなのか?

幸せを求める人間は死ぬまで青い鳥を探し求めねばならないのか?


あるいは、青い鳥は最初から幻に過ぎなかったのか?

グウェンドリン編のラストシーンのタイトルも美しいですね。
青い鳥とは、実のところ普通の鳥が見る者の目には青く見えていただけだったのか、
はたまた青い鳥という本来は存在しない幻が、見果てぬ夢として現れたのか。

オズワルドがグウェンドリンを大切にできるのは、彼がグウェンドリンと
同じ痛みを知っているから、という物語が、切なくも非常に説得力がありました。
自分と同じ痛みをもつ誰かを慈しみたいという気持ち。
それが愛の始まりとなるのがとても好きです。

特に心を打たれたのは、オズワルドがグウェンドリンを初めて見かける場面。
このシーンでオズワルドは、知らぬうちにグウェンドリンに強烈に惹かれます。

そしてなにより印象深いのは、この場面でグウェンドリンは、
父王オーダインに女性性を全否定されていることです。

グウェンドリンには、おしゃれを楽しむ権利があります。
おしゃれとは、自分を飾ることです。
自分を美しく、魅力的に見せるために力を尽くすこと。
おしゃれは正確には自分のためにするのであって、魅力的になった状態で
他の誰かの気を引くというのは二次的な目的であり、本来ならば副産物のようなものです。
自分を飾る、というのがおしゃれの第一義です。
そしておしゃれには能動性と意志が求められます。

自分がどのような系統の服装やアクセサリーを好み、
どのような印象を他人に与えたいのか。
親や世話係などに人形のように着せ替えられるわけでもない限り、
おしゃれにはみずからの意志が問われます。
つまり、自己発露の力がある。
そしてそうとは意識していなくとも、みずからを否応なく省みることになる。

それはつまり、自分はどのような人間でいたいのかを考えることにもつながる。
意識していないにせよ。

グウェンドリンはおしゃれをすることを誰にも恥じる必要はなく、
戦闘中でもないため文句を言われる筋合いもないのですが、
それがオーダインには理解できません。
なぜならオーダインはグウェンドリンの意志を尊重するつもりがないからです。
オーダインの意志に反して、自分の意志を見せるグウェンドリンの姿は、
オーダインが彼女に望む、徹底してオーダインに従順な生き方からは逸脱します。

オーダインに心ない言葉をかけられ、グウェンドリンは落胆します。
彼女はただ、父と思い出を分かち合いたかっただけなのに。

女性性を全否定され、父王の望む戦装束をまとうために戻るグウェンドリン。
その様子を見て、オズワルドが恋に落ちる、というのがいいなと思いました。
言い換えれば、彼はグウェンドリンが意志を見せたときに心を奪われたのです。

オズワルドはこの時点では、自分が義父にどのように扱われているのかを知らないはずなのに。
恐らくは無意識下で、うすうす気づいてはいたのだろうなと感じます。
たぶんオズワルドは気づきたくなかったし、あまり考えないようにしていた。
序盤の人形のような振る舞いも、なによりも義父がそう望んでいたからこそ。
だからこそ、オズワルドはグウェンドリンに惹かれたのだと思います。
人ではなくモノのように扱われる気持ちが、オズワルドには身に沁みて分かるから。
彼はその気持ちを抑圧し、拾って育ててもらった恩義でずっとごまかしてきたから。
愛しているからこそ、愛されていない、ということは伝わってしまうものです。

メルヴィンが企てた革命が失敗し、闇の中で義父メルヴィンの姿を求めるオズワルド。
死のまぎわにメルヴィンは残酷な事実をオズワルドに告げます。
「お前は私の持ち物に過ぎない」
生きてきた理由のすべて、これまでの人生のすべてを否定されたオズワルド。
そうして、盲目的に親(義父)を信じていたオズワルドの幼年期の終わりを表すかのように
オズワルドは死の国へと引きこまれるのが象徴的でした。

オズワルド編、そしてグウェンドリン編はどちらも「リア王」を思わせますね。
リア王とは、自分に害意をもつ者を盲目的に信じて過ちを犯す王の物語です。
末娘であるコーディリアの愛を見抜けないリア王は、真実を告げる彼女を勘当します。
やがて、裏切りの果てにリア王は荒野をさまようことになり、狂気に取り憑かれる。
コーディリアはどうにか父を助けようとするのですが、
最終的に殺されてしまい、リア王は愛する娘を失って絶望し慟哭する、という話です。

グウェンドリン編で、「青い鳥」は心の声として、つまり彼女の独白の表れとして描かれます。
父の愛を求めてやまないグウェンドリン。
彼女は、自分の「幸せ」「父の愛を得ること」だと考えている。
つまり、「幸せ」(=青い鳥)のありかを
既に知っている(とグウェンドリンは思っている)のですね。

青い鳥は父のために叛逆の罪を犯し、断罪されるグウェンドリンに
「震えているわね……後悔しているの?」と問うのを最後に、しばらく姿を消します。
次にグウェンドリンの前に現れたのは、6-2-2でオズワルドに誤解されたときです。
このことから、青い鳥はグウェンドリンの心が不安に苛まれてるときに出るように思われます。
それ以後、オズワルドで頭がいっぱいな状態のグウェンドリンの前に、青い鳥は出ないからです。
最後に出てきた青い鳥は、グウェンドリンに問います。
「父のために? 彼のために?」
このときのグウェンドリンの表情に胸を掴まれました。

グウェンドリンが指環を取り戻したとき、父王オーダインは今までで
最大級の賛辞をグウェンドリンに投げかけます。

「お前ほど素晴らしい娘はおらぬ。その指環の如く価値がある」

作中で鍵となるティトレルの指環は、強大な兵器を起動する鍵です。
その指環の如く価値がある。つまり、式にすると 指環=グウェンドリン です。
言い換えてみます。
この言葉はつまり、「あなたは素晴らしく価値のある道具(兵器)です」と言っています。

グウェンドリンは人間です。作中で繰り返されるように、彼女はモノではありません。
モノ(指環)と比較対象になりうる時点で、オーダインはグウェンドリンを
道具と同じカテゴリに置いており、人として扱っていないのは明白です。
そして、極めつけにグウェンドリンがモノと同等に扱われるシーンが、
オズワルド編でオーダインが持ちかける取引の場面。

城、魔法の槍、そしてグウェンドリン。
反発するオズワルドに、オーダインは「自分の娘をどのように扱おうが自由だ」と開き直ります。

オーダインのグウェンドリンへの愛は、道具を愛でる愛でした。
しかしグウェンドリンは、人として尊重され、大切にされる愛を望んでいたのです。
戦利品のようにモノと同列に並べられる愛ではなく。

戦う道具として役に立たなくなれば、生む道具として使用方法を変えるような愛ではなく、
グウェンドリンの意志を尊重し、人として生きるグウェンドリンを認めてくれるような愛が。

私はここで笑ってしまったのですが、オーダインってオズワルドに敗北してるのですね。
もうオーダインがオズワルドに敵わないのは明らかです。

オズワルド編に話を戻します。

死の国で絶望と空虚さに押しつぶされそうになるオズワルド。
彼はそこで青い鳥を見つけます。

愛するものも、愛してくれるものもいない。

絶対的な孤独を前に絶望しかけたときにオズワルドは気づくのです。

自分には愛するものがいる、ということに。

それこそが同じ痛みを抱えて傷つくグウェンドリンへの想い。
オズワルドに残された、義父によらない、自分だけのもつ価値のあるなにかでした。

寺山修司の「人魚姫」に、こんな一節があります。
「愛されることには失敗したけど、愛することなら、うまくゆくかも知れない。
 そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう」


「人魚姫」はアンデルセンの愛しても愛しても報われぬ恋の苦味を
投影した物語だと言われています。

メルヴィンという灯火を失い、闇に取り残されたオズワルドがもつ唯一の気持ち。
それがグウェンドリンを愛おしく想う心、というのが美しくて心に響きました。

捨て駒として扱われる痛みを知るオズワルドは、グウェンドリンを一生懸命に愛そうとします。
まるで、自分はこんな風に扱われたかったのだと訴えかけるかのように。
そして、このように愛されたかったのだと知らしめるかのように。

彼は義父メルヴィンを一途に慕っていたときのように、グウェンドリンのために戦う。
それはずっと、オズワルドにとって愛を示す大きな方法だったから。
メルヴィンのために戦う、ということが。
そしてそれは、王のためにワルキューレとして戦ってきたグウェンドリンも同じ。
だからこそこの二人は愛を示すために戦う。

オズワルドは真摯で、生来ひたむきな男なのだろうなと感じさせて、
とても好ましく感じました。

ラストシーンも、グウェンドリンの心は自由にされない、と分かったからこそ
起こしたというのが良かったです。

オズワルドとグウェンドリンの、繊細でありながらも、それこそ星のように輝く恋は
この作品に大きな彩りを与えるものだと思いました。

余談となりますが、メルヴィンの真名「ニーズホッグ」は北欧神話に登場する蛇で
「怒りに燃えてうずくまる者」にして、死者の血をすすります。
「トネリコの根」は世界樹ユグドラシルですね。

そしてエルファリアの真名は「フィンブルヴェトル」、
北欧神話では「世界の終わり(ラグナロク)の前に訪れる大いなる冬」の意味を持ちます。

次はベルベット編。私はコルネリウス&ベルベットも好きなので楽しみです。
いえ、操作できる五人はみんな好きなのですが。
コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>

応援中

乙女ゲーム「白魔女と運命の恋」 乙女ゲーム「白魔女と運命の恋」

RECOMMEND

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM