Daylight -朝に光の冠を- 感想
- 2018.04.09 Monday
- 23:27
こちらはリクエストボックスよりおすすめいただきました。ありがとうございます!
Daylight -朝に光の冠を
学園伝奇AVG。BLではありません。
2008年に発売された作品で、ちょうど10年前のゲームとなりますが、
かなり評判が良かったことをよく覚えています。
前半部分で一部シナリオに矛盾があるものの、おおむね読みやすくて面白かったです。
捕食者と被食者、陰陽思想をモチーフとしたシナリオや、
愛と飢餓感の相関性などが描かれていて興味深く楽しみました。
この作品において自分が解釈した「愛」は「恋愛」ではなく「友愛」や「親愛」を指します。
「絆」「信頼」「友情」と言い換えても良いですが、他者を乞うる気持ち、
自分よりも他の誰かを大切に想う気持ち、となると包括的な表現として
「愛」が分かりやすいので「愛」とします。
恐らく恋愛にしてしまうと性欲が絡む以上、食欲と相まって欲の印象が
強くなりすぎてしまうため、友情に特化したのかな、と思いました。
以下ネタバレ感想。
Daylight -朝に光の冠を
学園伝奇AVG。BLではありません。
2008年に発売された作品で、ちょうど10年前のゲームとなりますが、
かなり評判が良かったことをよく覚えています。
前半部分で一部シナリオに矛盾があるものの、おおむね読みやすくて面白かったです。
捕食者と被食者、陰陽思想をモチーフとしたシナリオや、
愛と飢餓感の相関性などが描かれていて興味深く楽しみました。
この作品において自分が解釈した「愛」は「恋愛」ではなく「友愛」や「親愛」を指します。
「絆」「信頼」「友情」と言い換えても良いですが、他者を乞うる気持ち、
自分よりも他の誰かを大切に想う気持ち、となると包括的な表現として
「愛」が分かりやすいので「愛」とします。
恐らく恋愛にしてしまうと性欲が絡む以上、食欲と相まって欲の印象が
強くなりすぎてしまうため、友情に特化したのかな、と思いました。
以下ネタバレ感想。
飢餓感とは誰か/なにかを欲しいと狂おしく渇望しても
それが手に入らないときに覚える感覚です。
欲しいという強い欲求を根底にした感覚であり、そしてその欲しいものが手に入らず、
それでも欲しくて欲しくて堪らない、欲しいという欲を捨てきれず
諦めきれないときに初めて痛感するもの。
本作では「心の飢え」として「飢餓感」が描かれます。
夜徒は人を喰らいたいという強い欲がありますが、その欲は生存欲ではありません。
その欲は光に焦がれる気持ち、神話の中で「夜」が去っていった「昼」を
求める願いとされますが、それはかつて「夜」と「昼」が共に在ったからと語られます。
共に在ったものが再び一つになろうとする衝動、
それは言い換えれば寂しさを忘れる手段であり、孤独を束の間にせよ忘れるよすがであり、
安寧を求める欲望とも解釈できます。
思えば愛情とは不思議なもので、飢餓感との相関性があって
初めて、誰かを愛することを知るのかもしれません。
そもそもの愛情の発芽が「誰か/なにかを欲しいと思う気持ち」である以上、
愛情とは飢餓感によって育まれる特性があるともいえます。
(理想論では)親が子に与える無償の愛も、子が生まれるまで待つ時間がある以上、
やはり飢餓感を通って初めて誰か/なにかを欲する気持ち(欲)が
愛情という境地にまで至るとも考えられます。
さて、捕食者である夜徒が欲望のままに被食者である人を喰らえば、
当然ながら人は死んでしまいます。
被食者を殺さないためには欲望を制御する必要性が生じる。
特に、欲求に正直で本能的であるがゆえに人を喰らうことに抵抗感のないミンミと、
ピットを想うがゆえに理性で飢餓感を抑えるベナは対称的です。
ベナが理性の力で(人を喰らいたい)欲求をねじ伏せることを可能としているのは、
ひとえにベナのピットへの親愛によるものです。
ピットを大切に想うがゆえにベナはどれほど苦しくても、
死んだほうがいいと思うくらい飢えていても、理性によって己の欲を制御します。
理性は意志の力によって生じるものです。
つまり、この作品における夜徒の「飢え」は、意志の力によって制御できるものとされます。
夜徒は生きるために人を喰らうのではない、というのが印象深く、詩的だと思いました。
欲しいものを手に入れるために我慢する。
欲求(本能)を抑えるのは理性の力であり、欲求を抑えるのは
欲しいものを壊さないためでもあります。
それは相手を身体的/精神的に傷つけないことです。
ではなぜ相手を傷つけたくないのか。
それは、孤独を和らげ安寧を得るためには、なんらかの信頼関係を構築する必要があり、
信頼関係を構築するためには相手の承認が必要になるからです。
相手の承認のない関係はただの支配関係であり、
相手を喰らい、恐怖によって虐げる関係では光(=安寧、調和)は得られない、というのが
この作品が描こうとしているテーマでもあります。
相手を傷つけたくない、大切にしたいという気持ちがやがて信頼関係の構築につながり、
お互いの間に生じた絆や愛の継続とお互いの関係性への承認が可能となります。
これは本能的だったミンミがルカに興味を抱き、「話をしたい」という欲求を覚えたことで、
「話をしたい」という欲求が「ルカを喰らいたい」という欲求を上回り、
ミンミとルカの間に信頼関係が結ばれる、というようにミンミルートで顕著です。
言い換えれば、己の欲を誰か/なにかへの利他的な気持ちによって
理性で抑えることができたときに、ようやく「誰か/なにかを欲する気持ち」が
愛になる、ということを描いた作品だと思いました。
欲求(本能)=衝動 < 絆、信頼、愛
相手を身体的/精神的に傷つけることと、
自分の欲望が達成されないがゆえに生じる苦しみを我慢すること、
この二つを天秤にかけたとき、自分以外の誰かのために我慢(抑制)を選ぶ気持ち、
として愛が定義されているのが、真理です。
誰か/なにかを欲しいと思う→すぐに手に入る
手に入ったものへの興味を手に入れた瞬間に失っては、
欲しいと思ったものの価値を知る暇もありません。
しかし、
誰か/なにかを欲しいと思う→なかなか手に入らない
このプロセスを経て、欲求が渇望に変わり、渇望は
欲しいものについて知りたいという興味になります。
欲しいものを手に入れるためにどうすればいいのか、ということを考えるにあたって
データを集める必要性が生じるからです。
それが値段であれ、売っている店であれ、相手の性格であれ。
そしてようやく手に入ったときに、欲しいものを知ることで愛着が湧き、
愛着は手に入れたときの幸福感を増幅させます。
手に入れた幸福感は同時に、幸福を失う恐怖と背中合わせです。
手の中にある幸福が大きければ大きいほど、失ったときの絶望は深まります。
欲しいものを手に入れた達成感、満足感、幸福感は
手に入れたものを失いたくないという恐れと執着になり、
「大事にしよう」という気持ちが生まれることで、
欲しいと思ったものの価値が相対的に上がるように思いました。
つまり飢餓感の深さは、欲しいと思ったものを手に入れたときの
幸福感に比例するとも考えられます。
ユースは人を喰らいたいという飢えがありながらも、100年に一度かならず捧げられる
生贄を喰らう契約があるがゆえに、人を喰らわないという約束を守り続けます。
その約束をユースが守ったのは、いつか王(生贄)と共に朝焼けを見る、
という言葉を信じたからです。長い時を経て約束そのものを忘れたとしても。
相手への思いやり(理性)によって欲求を抑える→愛情とは相手への思いやり、利他的な思い
まとめると陳腐になってしまいましたが、愛の表現として清々しさのある作品でした。
ところで、利己的動機によって利他的行動を取る利己的な人間というものが
この世には存在します(ex:親切めかした顔して近づく詐欺師)。
利他的動機による利他的行動と、利己的動機による利他的行動との明確な違いは、
行動の主軸が自分にあるのか相手にあるのか、という部分にあると選択肢からも提示されます。
(「自分のことを考える」「ユースのことを考える」という選択肢など)
難しいところですが、「相手を知りたいと思う気持ち」、
「見返りを求める気持ちがあるかどうか」という部分で判別できるでしょう。
それこそ、「自分は被害者だ」「相手は自分になんらかの危害を加えようとしている」と
自分にばかり目を向けるのではなく、自我を脇に置いて目の前にいる相手のことをよく観察し、
相手はなぜこのような言動を取るのか、相手はどのような立場にあるのかなど、
目の前にいる誰かの人となりを知ろうとすることが大切なのだ、ということを描いた作品でした。
こうした明確な考えによって生み出されたシナリオだと推察します。
ルカ
お互いに求め合い、相手を想い合うことが「愛し合う」こと。
だからユース(闇)がルカ(光)を求めるだけでなく、
ルカがユースを「喰らう」(=求める)ことで双方向の信頼関係が成り立ちます。
「死の宿命を持つ生贄」の話って花帰葬以降で一時期すっごく
流行ったので、この作品もその流れを汲んでいるのかもしれませんが、
ルカは「なにがなんでも生きたい、他人など知らん」という姿勢が
一貫していて新鮮でした。
これは「自我の肥大したキャラクター」として敢えてそう描いたようにも思います。
ユースが勉強で机を使おうが使うまいが人の勝手だし、
あとから来た新参者でさらに年下なのに、初見でユースに
二段ベッドを移動するように(下から上)提案するルカって
けっこう図々しいですよね?
これは「ユースは変わっている」という表現なのですが、
ルカも割と人のこと言えないような……。
新参者は先住者のルールに従うのが筋じゃないかな……と思いました。
死の予感を忌避するがゆえに、他人に興味がなかったルカ。
しかしルカは死を前にして、誰かを理解しようとすることで変化します。
そしてルカと絆を育んだ誰かも同様に変化します。
愛とは互いに共鳴しあい、共に変容すること。
ルカとユースはもちろん、ルカが仲良くなった相手は一様に変容します。
特に夜徒が相手だと分かりやすい。
至高の糧となるルカを喰らいたいという欲を超え(ミンミとフォル)、
夜徒としての本質を見失いながら夜徒としての承認欲求を得たいという欲を超え(ジェシー)、
契約の継続によって現状維持を望む危機回避本能=変化への恐怖を超える(ユースとメイ)。
ルカの台詞としては、
「……世界中の誰もが俺の明日を認めなくても、俺だけは信じる」が印象深い。
ユース
他キャラを選ぶとなんだかんだラストでは身を引いてくれるユース。優しい。
ユースとのトゥルーエンドが一番良かったです。
朝焼けを待たずして息を引き取ってしまう「光に満ちて」は、スチルが美しく、
エンディングとしても切なくて好き。
考えてみれば彼は光に惹かれたがゆえに闇を裏切った立場でもあって、
夜徒を統べる「夜」でありながら、実はずっと昼と夜の境界線に一人で立ち続けて
朝焼けを待っていたのだと思うととても切ない。
メイ
後悔の象徴。
欲しいものがあっても手を伸ばすことができず、それゆえに後悔するメイ。
傷つきたくないから手を伸ばさないとどうなるかを表す存在でもあります。
メイといえばやはり「……僕たちのために犠牲になってね、ルカ」という台詞と
笑顔の一枚絵が心に残っています。
彼は友に「人の世のためにおとなしく死んでくれ」と言わなければならない
辛い立場なのですが、それに関して言い訳をせず、甘んじて誹りを受けようとする
姿勢が、メイなりのルカに対する誠実さで、友情なのだと感じました。
とはいえ、「自己の罪悪感を解消するために俺を使うな」(意訳)ともルカに
言い放たれてしまって、そういう側面もあるぶん辛いところ。
最初はルカを苦しめないために真実を隠すのが誠実さで、
その姿勢がルカの(精神の)自由を奪うと知ってからは真実を話すことが
誠実さだと、状況によっていつもルカに誠実であろうとするところに
好感を抱きました。潔くはある。
エンディング「優しい気持ちで」の
「……なくすのと自分で捨てるのとは、全然違うと思わない?」という台詞も良い。
失って傷つくのが怖いから傷つく前にみずから捨てる、染み付いた後悔から逃れるために
罪を創り出して背負う、というエンディングは皮肉でした。
メイが次に背負うのは後悔ではなく罪になるのだけど、そのほうがマシだと思うくらい
後悔を忌避したのだと考えるとなんともいえない。
ミンミ
動物的で分かりやすいミンミ。彼は本能的衝動の象徴です。
彼が懐くとお約束とはいえニヤニヤします。
フォル
ミンミが本能の象徴なら、彼は欲望の象徴であるように思いました。
実は一番欲が強いのはフォルだったのでは。
ミンミはこう、食欲を隠さないだけで。
ジェシー
女性言葉は「割かれた夜」を暗喩していたのかな?
どこかアンドロギュヌスを彷彿とさせます。
人を喰らうことこそが本質である夜徒でありながら、飢餓感を覚えないジェシー先生は
夜徒としての在り方に迷うのですが、それは男性性と女性性の調和が取れていたから、
ジェシーが一足先に枷が外れていたことからして、夜徒のあるべき姿を
体現していた存在ともいえますね。
しかし、飢餓感のない存在は虚無を覚える、というのは
人は誰か/なにかを求めずにはいられない、ということを暗示しているように思いました。
たとえ誰か/なにかを求めたときに傷つくのだとしても。
だからこそジェシー先生は研究を求めるのかもしれません。
研究とは事実の追求行為だから。
ベナとピット
かわいい。見た目もそうですが、関係性もかわいい。
欲を超えた先にあるもの、自分の欲よりも誰かを大切にしたいと思う気持ち、
飢餓感を超越して理性で己を律して初めて生じるもの。
そこでようやく本当の意味で誰かを思いやることができ、
相手に捧げる気持ちを「愛(親愛)」と呼べる、という関係性は示唆的ですね。
それが手に入らないときに覚える感覚です。
欲しいという強い欲求を根底にした感覚であり、そしてその欲しいものが手に入らず、
それでも欲しくて欲しくて堪らない、欲しいという欲を捨てきれず
諦めきれないときに初めて痛感するもの。
本作では「心の飢え」として「飢餓感」が描かれます。
夜徒は人を喰らいたいという強い欲がありますが、その欲は生存欲ではありません。
その欲は光に焦がれる気持ち、神話の中で「夜」が去っていった「昼」を
求める願いとされますが、それはかつて「夜」と「昼」が共に在ったからと語られます。
共に在ったものが再び一つになろうとする衝動、
それは言い換えれば寂しさを忘れる手段であり、孤独を束の間にせよ忘れるよすがであり、
安寧を求める欲望とも解釈できます。
思えば愛情とは不思議なもので、飢餓感との相関性があって
初めて、誰かを愛することを知るのかもしれません。
そもそもの愛情の発芽が「誰か/なにかを欲しいと思う気持ち」である以上、
愛情とは飢餓感によって育まれる特性があるともいえます。
(理想論では)親が子に与える無償の愛も、子が生まれるまで待つ時間がある以上、
やはり飢餓感を通って初めて誰か/なにかを欲する気持ち(欲)が
愛情という境地にまで至るとも考えられます。
さて、捕食者である夜徒が欲望のままに被食者である人を喰らえば、
当然ながら人は死んでしまいます。
被食者を殺さないためには欲望を制御する必要性が生じる。
特に、欲求に正直で本能的であるがゆえに人を喰らうことに抵抗感のないミンミと、
ピットを想うがゆえに理性で飢餓感を抑えるベナは対称的です。
ベナが理性の力で(人を喰らいたい)欲求をねじ伏せることを可能としているのは、
ひとえにベナのピットへの親愛によるものです。
ピットを大切に想うがゆえにベナはどれほど苦しくても、
死んだほうがいいと思うくらい飢えていても、理性によって己の欲を制御します。
理性は意志の力によって生じるものです。
つまり、この作品における夜徒の「飢え」は、意志の力によって制御できるものとされます。
夜徒は生きるために人を喰らうのではない、というのが印象深く、詩的だと思いました。
欲しいものを手に入れるために我慢する。
欲求(本能)を抑えるのは理性の力であり、欲求を抑えるのは
欲しいものを壊さないためでもあります。
それは相手を身体的/精神的に傷つけないことです。
ではなぜ相手を傷つけたくないのか。
それは、孤独を和らげ安寧を得るためには、なんらかの信頼関係を構築する必要があり、
信頼関係を構築するためには相手の承認が必要になるからです。
相手の承認のない関係はただの支配関係であり、
相手を喰らい、恐怖によって虐げる関係では光(=安寧、調和)は得られない、というのが
この作品が描こうとしているテーマでもあります。
相手を傷つけたくない、大切にしたいという気持ちがやがて信頼関係の構築につながり、
お互いの間に生じた絆や愛の継続とお互いの関係性への承認が可能となります。
これは本能的だったミンミがルカに興味を抱き、「話をしたい」という欲求を覚えたことで、
「話をしたい」という欲求が「ルカを喰らいたい」という欲求を上回り、
ミンミとルカの間に信頼関係が結ばれる、というようにミンミルートで顕著です。
言い換えれば、己の欲を誰か/なにかへの利他的な気持ちによって
理性で抑えることができたときに、ようやく「誰か/なにかを欲する気持ち」が
愛になる、ということを描いた作品だと思いました。
欲求(本能)=衝動 < 絆、信頼、愛
相手を身体的/精神的に傷つけることと、
自分の欲望が達成されないがゆえに生じる苦しみを我慢すること、
この二つを天秤にかけたとき、自分以外の誰かのために我慢(抑制)を選ぶ気持ち、
として愛が定義されているのが、真理です。
誰か/なにかを欲しいと思う→すぐに手に入る
手に入ったものへの興味を手に入れた瞬間に失っては、
欲しいと思ったものの価値を知る暇もありません。
しかし、
誰か/なにかを欲しいと思う→なかなか手に入らない
このプロセスを経て、欲求が渇望に変わり、渇望は
欲しいものについて知りたいという興味になります。
欲しいものを手に入れるためにどうすればいいのか、ということを考えるにあたって
データを集める必要性が生じるからです。
それが値段であれ、売っている店であれ、相手の性格であれ。
そしてようやく手に入ったときに、欲しいものを知ることで愛着が湧き、
愛着は手に入れたときの幸福感を増幅させます。
手に入れた幸福感は同時に、幸福を失う恐怖と背中合わせです。
手の中にある幸福が大きければ大きいほど、失ったときの絶望は深まります。
欲しいものを手に入れた達成感、満足感、幸福感は
手に入れたものを失いたくないという恐れと執着になり、
「大事にしよう」という気持ちが生まれることで、
欲しいと思ったものの価値が相対的に上がるように思いました。
つまり飢餓感の深さは、欲しいと思ったものを手に入れたときの
幸福感に比例するとも考えられます。
ユースは人を喰らいたいという飢えがありながらも、100年に一度かならず捧げられる
生贄を喰らう契約があるがゆえに、人を喰らわないという約束を守り続けます。
その約束をユースが守ったのは、いつか王(生贄)と共に朝焼けを見る、
という言葉を信じたからです。長い時を経て約束そのものを忘れたとしても。
相手への思いやり(理性)によって欲求を抑える→愛情とは相手への思いやり、利他的な思い
まとめると陳腐になってしまいましたが、愛の表現として清々しさのある作品でした。
ところで、利己的動機によって利他的行動を取る利己的な人間というものが
この世には存在します(ex:親切めかした顔して近づく詐欺師)。
利他的動機による利他的行動と、利己的動機による利他的行動との明確な違いは、
行動の主軸が自分にあるのか相手にあるのか、という部分にあると選択肢からも提示されます。
(「自分のことを考える」「ユースのことを考える」という選択肢など)
難しいところですが、「相手を知りたいと思う気持ち」、
「見返りを求める気持ちがあるかどうか」という部分で判別できるでしょう。
それこそ、「自分は被害者だ」「相手は自分になんらかの危害を加えようとしている」と
自分にばかり目を向けるのではなく、自我を脇に置いて目の前にいる相手のことをよく観察し、
相手はなぜこのような言動を取るのか、相手はどのような立場にあるのかなど、
目の前にいる誰かの人となりを知ろうとすることが大切なのだ、ということを描いた作品でした。
こうした明確な考えによって生み出されたシナリオだと推察します。
ルカ
お互いに求め合い、相手を想い合うことが「愛し合う」こと。
だからユース(闇)がルカ(光)を求めるだけでなく、
ルカがユースを「喰らう」(=求める)ことで双方向の信頼関係が成り立ちます。
「死の宿命を持つ生贄」の話って花帰葬以降で一時期すっごく
流行ったので、この作品もその流れを汲んでいるのかもしれませんが、
ルカは「なにがなんでも生きたい、他人など知らん」という姿勢が
一貫していて新鮮でした。
これは「自我の肥大したキャラクター」として敢えてそう描いたようにも思います。
ユースが勉強で机を使おうが使うまいが人の勝手だし、
あとから来た新参者でさらに年下なのに、初見でユースに
二段ベッドを移動するように(下から上)提案するルカって
けっこう図々しいですよね?
これは「ユースは変わっている」という表現なのですが、
ルカも割と人のこと言えないような……。
新参者は先住者のルールに従うのが筋じゃないかな……と思いました。
死の予感を忌避するがゆえに、他人に興味がなかったルカ。
しかしルカは死を前にして、誰かを理解しようとすることで変化します。
そしてルカと絆を育んだ誰かも同様に変化します。
愛とは互いに共鳴しあい、共に変容すること。
ルカとユースはもちろん、ルカが仲良くなった相手は一様に変容します。
特に夜徒が相手だと分かりやすい。
至高の糧となるルカを喰らいたいという欲を超え(ミンミとフォル)、
夜徒としての本質を見失いながら夜徒としての承認欲求を得たいという欲を超え(ジェシー)、
契約の継続によって現状維持を望む危機回避本能=変化への恐怖を超える(ユースとメイ)。
ルカの台詞としては、
「……世界中の誰もが俺の明日を認めなくても、俺だけは信じる」が印象深い。
ユース
他キャラを選ぶとなんだかんだラストでは身を引いてくれるユース。優しい。
ユースとのトゥルーエンドが一番良かったです。
朝焼けを待たずして息を引き取ってしまう「光に満ちて」は、スチルが美しく、
エンディングとしても切なくて好き。
考えてみれば彼は光に惹かれたがゆえに闇を裏切った立場でもあって、
夜徒を統べる「夜」でありながら、実はずっと昼と夜の境界線に一人で立ち続けて
朝焼けを待っていたのだと思うととても切ない。
メイ
後悔の象徴。
欲しいものがあっても手を伸ばすことができず、それゆえに後悔するメイ。
傷つきたくないから手を伸ばさないとどうなるかを表す存在でもあります。
メイといえばやはり「……僕たちのために犠牲になってね、ルカ」という台詞と
笑顔の一枚絵が心に残っています。
彼は友に「人の世のためにおとなしく死んでくれ」と言わなければならない
辛い立場なのですが、それに関して言い訳をせず、甘んじて誹りを受けようとする
姿勢が、メイなりのルカに対する誠実さで、友情なのだと感じました。
とはいえ、「自己の罪悪感を解消するために俺を使うな」(意訳)ともルカに
言い放たれてしまって、そういう側面もあるぶん辛いところ。
最初はルカを苦しめないために真実を隠すのが誠実さで、
その姿勢がルカの(精神の)自由を奪うと知ってからは真実を話すことが
誠実さだと、状況によっていつもルカに誠実であろうとするところに
好感を抱きました。潔くはある。
エンディング「優しい気持ちで」の
「……なくすのと自分で捨てるのとは、全然違うと思わない?」という台詞も良い。
失って傷つくのが怖いから傷つく前にみずから捨てる、染み付いた後悔から逃れるために
罪を創り出して背負う、というエンディングは皮肉でした。
メイが次に背負うのは後悔ではなく罪になるのだけど、そのほうがマシだと思うくらい
後悔を忌避したのだと考えるとなんともいえない。
ミンミ
動物的で分かりやすいミンミ。彼は本能的衝動の象徴です。
彼が懐くとお約束とはいえニヤニヤします。
フォル
ミンミが本能の象徴なら、彼は欲望の象徴であるように思いました。
実は一番欲が強いのはフォルだったのでは。
ミンミはこう、食欲を隠さないだけで。
ジェシー
女性言葉は「割かれた夜」を暗喩していたのかな?
どこかアンドロギュヌスを彷彿とさせます。
人を喰らうことこそが本質である夜徒でありながら、飢餓感を覚えないジェシー先生は
夜徒としての在り方に迷うのですが、それは男性性と女性性の調和が取れていたから、
ジェシーが一足先に枷が外れていたことからして、夜徒のあるべき姿を
体現していた存在ともいえますね。
しかし、飢餓感のない存在は虚無を覚える、というのは
人は誰か/なにかを求めずにはいられない、ということを暗示しているように思いました。
たとえ誰か/なにかを求めたときに傷つくのだとしても。
だからこそジェシー先生は研究を求めるのかもしれません。
研究とは事実の追求行為だから。
ベナとピット
かわいい。見た目もそうですが、関係性もかわいい。
欲を超えた先にあるもの、自分の欲よりも誰かを大切にしたいと思う気持ち、
飢餓感を超越して理性で己を律して初めて生じるもの。
そこでようやく本当の意味で誰かを思いやることができ、
相手に捧げる気持ちを「愛(親愛)」と呼べる、という関係性は示唆的ですね。
そのゲームが何を描きたかったのかという点を考え、個々の中身について感想を言うというスタイル、やっぱりいいですね。
こう……ゲームの体験によって、思考が組み立てられる様子を見るのが好きです。思考を通して、見知らぬゲームについて興味を持てます。
なんかいつも読んでしまうのが勿体ないなって思って一行一行時間かけて読んでいます(笑)
メイの項は、読んでて事情が分からないなりに息苦しく感じますね。
可哀想とかでもなく……。
メイという人物(?)がメイという人物である限り、後悔か罪を選ぶんだろうなという感じ(?)に閉塞感を覚えました。
望んだ形で手に入れられないから、データを集める必要性が出てくる(興味がわく)というところが読んでて楽しかったです。
失いたくないから大事にすることで価値が上がるっていうところも……。
大事なものを手に入れる前の渇望に焦点を当てて考えるのは、面白いなあと思いました。
ゲーム開始時から、大事なものを持っている前提であると、その理由やきっかけは後から情報を仕入れた時に一つの情報として手に入ったり入らなかったりしますが、そこに自分(主人公なり、プレイヤーが見える第三者視点なり)が関わっていないと1情報でしかないとスルーしてしまったりしてたのかもしれないですね。
誰かを大事にするなら、その人の大事なものも知って、その渇望の歴史と選択をないがしろにしないようにしなければならないんだろうな……とか……。
あと、仕組みというと味気ないですが……仕組みを知れば、自分が大事にしたい何かを得たい時のヒントになりそうだな、と思いました。
大事にしたい物のために渇望せよということではなく、欲しいと思ったものが大事なものになるかどうかは自分次第で、大事なものを増やしたいのなら、手に入れる方法…というか、どうあればいいのか……みたいな……。
欲しいという気持ちってすごく重要なんだなあとか……。(これが陳腐な発言ってやつですよ!)
いつも楽しい感想ありがとうございます。
おかげでやる気が出ました。ありがとうございます!
ゲームは自分が主体的に関わっていけるところが好きなので、その過程でいろいろ考える部分があると、私も気付かされるところが多いです。書いているうちになにをもやもやしていたのかが見えてくる場合もよくあります(笑)
メイは確かに、見ていてやるせない気持ちになりますね。
彼は自分以外の誰かの意向に沿った選択を信じようとするあまり、いつも代わりに自分自身に嘘を吐いて余計に苦しむ、というところがあるので胃が痛くなります。
自分も飢餓感と愛情の関連性といいますか、ここまで連動しているものなのかと不思議に思いながら書いていたので、自分なりに着地点を見つけられて楽しかったです。
>ゲーム開始時から、大事なものを持っている前提であると〜
確かに、そう考えるとちょっともったいないですね……。
強い欲に至るまでにいろいろあって、プレイヤーとして入手した1情報も、いろいろ本人の試行錯誤などが凝縮しているのかもしれないですし。
他人が欲しいものを苦労の末に手に入れた過程を見て学ぶ、というのは大事なことだと思います!
欲しいと思う気持ちは、なぜそれが欲しいのか、という根拠と背中合わせになるからかもしれません。
例えば「根拠がない」という場合も、それが本能的な衝動であるか、もしくは「理由もなく執着する」ということ自体がその人のキャラクターや価値観を強く定義づける性質になりえます。
だからこそ、「なにかを欲する気持ち」というものは相手のルーツを知る強い要素になりうる以上、重要になってくるのだろうなあとコメントを見て同意しました!
コメント本当にありがとうございます!良かったらお暇なときにでもまた覗いてやってくださいね。
楽しんでいただけたようで嬉しいです!
プレイ後は本当に清々しい気分になりますよね!この気分を味わえる作品は少ないので、とても気に入っています。
言葉でこの気持ちをうまく表現できないのが歯痒いです…
普段は恋愛ゲームばかりしている私ですが『恋愛的な欲』を抜きに楽しめた作品でした。
満たされていないからこそ、求める。
満たされたらそこで終わりではなく、失う恐怖との闘いがある。だからこそ、より大切にするし、大切にされたい。
あれこれ理由をつけても、シンプルで単純な意志が一番強く、人を惹き付けますよね。
自分の敵である対象から逃げずに、相手を知ろう、理解しようとするルカはとても冷静で、やっぱり『王』だったんだなぁ…と思いました。
相手を否定せず、理解しようとする姿勢は、国際社会を生きるうえでも大切ですよね。受け入れる覚悟が必要です。
自分にゆとりがないと、なかなかできないことです。でもルカはそれをやってのけた。これも『王』の素質かな…と思いましたね。
『契約』ではなく『約束』だと、ルカが何度も言っていたことも印象的でした。言葉から受ける印象が随分違う…
『契約』より『約束』を守ることの方が遥かに難しい…『契約違反』には罰則が明確に記されるものですが、『約束』にはそこまでの拘束力はないですから…
この言葉に拘っていたルカ(王)の気持ちを感じることができて、また嬉しく思いました。
ルカの家名は『ルーフェン』。ドイツ語で『呼ぶ・叫ぶ』と言う意味だそうです。ユースの名を唯一呼べる存在…その存在を自ら手にかけなければならないなんて…と思うとまた切ないです…っ!
また、ユースを含む夜徒+メイの名前には、全員絶滅動物の名前が入っております。メイの『メイオラニア』は陸棲ガメ。学名は『小柄な放浪者』を意味するそうです。それを聞くと納得のシナリオかもしれないですね。
この作品は『契約』の涯ての『約束』が果たされた物語でした。ラストは安堵や達成感を感じました。
ユースのあの朝焼けに照らされた笑みが全てを語っていると思います。
季節は巡っても(夏の制服姿)、二人は一緒にいる。ユースの時間もようやく動き始めたそんな感じがします。
エンディングの曲も好きで、自分なりに曲の解釈を考えた程、好きな作品です。大樹様の深い解釈も拝見できて、私もこの作品に対する理解が深まったように感じます。
『紫影のソナーニル』でも、とても助けていただきました。あの独特の言い回しや雰囲気が好きなんですが、取っつきにくい作品ではあるので、理解するのに苦労しました。その節はありがとうございました(笑)
お言葉に甘えてまたリクエストしてしまうかもしれませんが、お願いしたいです。
ありがとうございました!
素敵な作品をご紹介くださって嬉しく思います。
爽やかな朝焼けに似合うエンディングで、私も心に残っています。
敢えて恋愛を外したからこそ、キャラクター同士の関係性が光った作品でした。
王としてのルカの描写も印象深いものがありましたね。
未来の可能性を信じて枠組みを作る、というのは王の在り方として重要な姿勢ですので、そうした描写が良かったと私も思います。
また、仰る通り契約と約束など、言葉を大切に扱っていて、キャラクターの心情をよく表していました。
契約はビジネスライクな印象を受けますが、約束だとより距離感が近いようなイメージがあります。
語源も教えてくださってありがとうございます!
そうした意味があったのですね……!
メイの名前も、メイの本質を感じさせますね。
こちらこそ、涼原さんがご紹介くださったおかげでプレイするきっかけを得られましたので、感謝しております。
素晴らしい作品のおかげでいろいろ思考することができる部分もありますので、私の感想の一部が、魅力的な作品の理解を促す助けになっているのであれば本望です。
気まぐれに運営しているブログですが、また暇潰しにでも覗いてやってくださると嬉しいです。
ありがとうございました!