華アワセ いろは編 感想

  • 2019.12.05 Thursday
  • 00:11
華アワセ いろは編


唐紅/うつつ編から四年越しに発売。
入荷と同時に品切れが続いており、期待のほどが伺えます。

今回はバッドエンド量産機であるいろはを救うことがすべてという内容です。
真相解明編でもあります。
割と戦闘が連続します。

総合すると、なんだかんだ蛟編と姫空木編がプレイしていて一番楽しかった気がします。
考察も含めて。

以下ネタバレ感想。
「愛するものに愛されない苦しみ」というのが大きなテーマだったと思います。

常世編は今までとはがらっと世界観が変わって目新しさがありました。
常世はある意味で反転していた世界でもあったのですが、
(みことの両親が生存・帝が男性・いめが五光の一員)
みことを愛しているのに愛されない二人の男によって
みことが現世に行くことになるのが、真相を暗示しています。

男としてみことを望み、
強引に宮廷へ入内させようとする百歳と手中に入れようと策を弄する九十九。

どちらもみことの意志を無視しているという点で共通しています。

みことが現世に行った後、常世に戻ることはない、というのは
強引に望まれた常世でのみことは死んだという暗喩なのかもしれません。
死んだ人間は生き返らない。

知らぬこととはいえ、いろはが現世で処置をしなければ
みことはどのみち死んでいたので、常世でのみことの未来は断絶されたとみていい。

無理やり宮廷に入れられたみことは心が死ぬ。
それは真相で明かされた、意に沿わぬ契りによって
かぐや姫が八月十五日に命を断つ、という悲劇からも見て取れます。

百歳(常世)に抱きしめられただけでみことは枯渇を起こしているので
常世に戻らないのは、戻ったところでみことが死ぬだけだからといえます。

かつて、死んだかぐや姫を生き返らせるために
かぐや姫への想いを犠牲にした百歳(帝)と
かぐや姫への愛を犠牲にした月読(いろは)。

かぐや姫が生きるためには、百歳(帝)と九十九は
「愛するものに愛されぬ苦しみ」を受け入れなければなりません。

同時に、穢れた己を呪う苦しみによって命を断ったかぐや姫への回答は、
義父に望まぬ行為を強いられた百合へ、みことが
「あなたはあなた」と諭す場面から伺えます。

百合は記憶を消す処置、つまり苦しみの消滅ではなく、
苦しんだ自分を受け入れて立ち上がる道を選び、そんな彼女に
理事長が手を差し伸べて水妹への道が開ける展開からして、
本作では「苦しみを受け入れて立ち上がる」「自分は自分」という
姿勢が肯とされます。

これは帝に、本心では望まぬ命令をされたいろはが、
己の心を殺してみことを帝の妃にしようと常世へ帰そうとして、
それが本当の自分の望みではないと気づいたとき、
「自分は自分」と帝への忠誠という名の依存を断ち切る流れからも見て取れます。
(忠誠=依存という意味ではなく、本作のいろはにとっての「忠誠」という意味です。
忠誠には暴走する主君への苦言も含まれるかと思うので)

最終的には、いろはがブラックホールに飲み込まれようとする
「うつつとみことの娘」ひなたや、恋敵であるニノと「ニノのみこと」を認める展開から、
「いろはと結ばれないツキのみこと」への愛を示しつつ、
「いろはと結ばれるツキのみこと」と幸せになる世界を新たに創り出すという大団円となりました。



みこと
最初は両親を失ったツキで嘆くもうひとりの自分を、
いっそ冷酷なまでに切り捨てるものの、
他人の痛みを思いやる大切さを学んで成長していきます。

これは常世で「どうして自分ばかりが」「もうひとりの泉妃候補が入内すればいい」と
自分のことだけを考えていた点からして顕著です。

ちなみにこの「もうひとりの泉妃候補」もまたみこと自身だと思われます。たぶん。
話の流れからしてみこと以外の泉妃は存在しません。
だから九十九はみことに執着して運命の籠を作ったわけで。

一応作品として、「他キャラと結ばれるみこと」を肯定しつつ
「いろはと結ばれるみこと」のツキを無理矢理にでも創りました、ということかと思うので。

いろはとみことは二人で一つ、「ツキの半身」であり、
つまりいろはとみことは二人合わさると「ツキ」だといえます。
二人が鏡合わせのような存在であり、もとは一柱の神だと示されています。

みことが百合へ投げかけた言葉。
パートナーである水妹を道具扱いしたいろは。

愛や忠誠を免罪符に、自分以外の誰かを己の利欲のために
道具やモノのように扱うこと。
それは、意志の否定と無視であり、そうした振る舞いは本作で明確に否定されています。

では人はどう生きればいいのか?
その答えがいろはの心の目覚めであり、
「自尊心」を持ち、「自分は自分」という姿勢で生きることと物語は提示します。
つまり、「相手を思いやる大切さ」とは「自尊心」によって成り立つと読めます。

なぜなら「自分は自分」と認めることで始めて、
「他人もまた一個の人格である」と思い至るからでしょう。

自分を大切にしていない人間は他人を思いやる余裕がありません。
自分の意志を認めていないわけですから他人に意志があることが理解できない。

いろはとみこと、どちらも自分を犠牲にしているときには
傲慢な振る舞いが目立ちました。

いろはは「帝の命令のため」といって自分の心とみことの意志を無視します。

みことは前述した「もうひとりの泉妃候補が妃になればいい」の他、
本当はいろはと一緒にいたいのに「いろはが自分のためにしてくれているから」と
孤独に部屋で待ちぼうけを食らうのですが、その代償として花神など他の水妹が
割を食っていることに思い至りません。

ラスボスが九十九ではなく、九十九に生贄にされ「穢れたうつつの伴侶であるみこと」であるのも、
負の感情で暴走する己(=もう一人のみこと)を苦しみから解放する、という流れを
示唆しているため、と読みました。

まーラスボスの九十九を気持ちよくぶん殴ってさっぱり終わりたいという気持ちは
すごくよく理解できますが。

みことといろはは作中で明確に「二人で一つ」とされているので、
「自分を受け入れてみずからの足で立つ」ということが大きなキーポイントだと思いました。

それにしても、作中ではさらっと流されますが、みことはいろはへの
十年越しの片想いが満を持して叶ったんだよなあ。



いろは
いろはが生み出した「女教皇」。
「女教皇」は本来、存在しない役職です。
意味は作中で描かれてたので割愛。

帝が犠牲にしたのは「想い」であって「愛」ではないのがミソですね。

「愛」を犠牲にしたのは月読である「いろは」であって、
本作で「愛」がどのように定義されているのかが見えて感慨深い。

機械みたいだったいろはがしっかりしてくれて感無量でした。

百合を助けるときに、コインに詰られたいろはが
言い返さなかったシーンが印象的です。

そのときのいろはは黙るしかなかったけど、
後で「機械ではなく人としての意思で帝の理想に共感し仕えた」と
回答を出しました。

機械として帝に唯々諾々と従うことは、ひいては仕える主である帝への
侮辱を招くと知ったいろは。

まあ、臣下の振る舞いは主君としての器量を計る材料でもあり、
機械のような言動は百歳の主君としての器量を疑わざるを得ないことでもあります。

道具やモノではなく人としての意志で帝に仕えたのであれば、
いろはは自我を持つ自分を認めなければならず、
自我を持つ自分を認めるのであれば、唐紅の言った「俺たちは機械じゃない。
従える命令と従えない命令がある」の通り、人としての誇り(=自尊心)を
持たなければいけません。

一人の人間として誇りを持って帝に仕えている。
そう胸を張れることが、主君である帝の名誉にもなる。

その認識から、水妹を蛇口よろしく道具扱いしていたいろはの自省にもつながります。

別のツキでうつつと結ばれたみことを嫉妬から詰っていたいろはが、
うつつとみことの娘であるひなたに手を差し伸べる展開は良かったです。
というかこのシーンのためにひなたやニノは生まれたといっても過言ではない。

愛とは、愛するものの意志を無視してモノのように扱い支配下に置くことではなく、
愛するものの意志を認めて思いやること。

それが一貫して描かれていました。

過去を書き換えて未来を紡いでいくタイムリープ的な要素が強かったですが、
みことと揃って一度子供に戻り成長していくのは、心が未成熟ないろはが
置いてきた心を取り戻すという意味で描かれたものと思います。




母上が蛟を可愛がってる場面が描かれてほのぼの。
蛟も自分を抑える系なのでいろはとはウマが合うのですが、
百歳(現世)に厳しくいろはへの協力を禁じられるところが心に残っています。



姫空木
なにかと花神を思いやる場面が描かれて、姫空木先輩がしっかりしてくれました。
五光らしく振る舞ってくれる姫空木を始めて見た気がします。
花神を利用するいろはに言い捨てて理事長室を出ていったときは感動しました。



唐紅
安定の唐紅先輩。
うつつやいめと仲良くやってくれててよかったです。
本当はただ一人のひとを求めているのに、唐紅先輩はハーレムにキャーキャー言われて
得意になってる姿が一番格好良い皮肉。
偶像体現と偶像崇拝でいい感じに適合するし。



うつつ
どう見ても優遇されすぎ。開発陣のお気に入りなのでしょうか。
まあ、うつつもいめも基本すごく優しいので、五光の中で
一番精神面が安定した伴侶になってくれそうな人ではありますが。
うつつの妻呼びはときめく。



アイ&ショウ
たぶん現世では衝合といって、みことを護るボディガード的な役割をしてたんですよね?
なんだかんだショウはいろはと仲良くなりそうな気もします。
アイちゃんは別に彼氏作ったほうがいいって。



タネ・カス
本作の「格好良かったで賞」MVP受賞。
鈴虫・玉虫の甲乙家のつながりも明らかになりました。



斧定九郎
この人も甲乙家だった模様。



百歳
現世で女性であったのは、二度とみことを傷つけないという意志の顕れなのかもしれません。
そう思うと切ないですね。
でも百歳との百合エンドがあっても良かったと思います。
理解者であり庇護者に徹することができたのは、そもそもの罪を犯したのは
帝だからと思うと、なんともいえない。
乙女ゲームであるにも関わらず、なにかと性的衝動の暴走や処女性が
生々しく描かれたのは、罪を暗喩するために敢えてそうしていたのでしょうね。



===



本作でうつつが示した「胡蝶の夢」は、いずれであっても
主体としての「私」は変わらないという意味もあって、
常世であろうと現世であろうと別の世界であろうとも、
みことといろはが主体性を持って生きることが大事だよね、という部分に
着地したのは、蛟編から一貫して描かれたテーマでもあると思います。


タロットの逆位置を正位置に戻していく展開は、
反転してしまったものを本来の姿に戻す、ということです。
九十九の良心とされるニノがいることから、たぶん九十九も含めて
作品として誰のことも否定したくないのだと思います。
帝の想いそのものが罪悪なわけじゃない。
問題はその想いが、「愛するものに(無理にでも)愛されたい」という欲によって
反転して愛するものの意志を無視して傷つけたことであり、
想いそのものを否定したくないという開発者の意志を感じました。

タロットの最後の大アルカナは「世界」。
これは新たな世界の創造と大団円、ということから
そのままですね。

タロットは人の成長過程を示しているとされます。

人はまず後先考えずに歩みを踏み出し(愚者)、
才を発揮し、新たなチャンスを手に入れる(魔術師)。
新たな可能性より知性と洞察を得て(女教皇)、
豊穣と繁栄を手に入れる(女帝)。

知性による繁栄が自信となり、意志と行動力を得る(皇帝)。
行動力を示したことで、人より信頼され、思いやりと協調性を学び(教皇)、
やがて選択を前にする(恋人たち)。

彼は選んだ道を進む(戦車)。
進みながら公正であること、誠意の大切さを知る(正義)。
彼は誠実であるべく、今まで歩んできた道を思って内省する(隠者)。

やがて人生の転換点を迎える(運命の輪)。

理性と意志によって進む道を見極めるものの(力)、
目的を達成するための試練を迎え、忍耐を強いられる(吊るされた男)。

忍耐の末に試練を乗り越え、新たな自分に生まれ変わり(死神)、
自省と節度を持つことを学ぶ(節制)。

しかし、自分を抑えようとする中で彼は欲と負の感情を知る(悪魔)。
欲の暴走によって破滅を迎え、彼はすべてを喪う(塔)。

しかし喪失の果てに一筋の希望を見いだし(星)、
確証はなくとも、不安の中であてもなく再び歩みだす(月)。

やがて自我の結合(正と負の感情、理性と欲)による成功を収め(太陽)、
絶望を乗り越えて三位一体(理性、欲、己の本質/神性、人間性、主体性)となって復活を果たし(審判)、
願いが成就し、自我の最終的な統合が行われる(世界)。

※様態論っぽいですが、タロットは直感の占いでもあるので解釈は諸説あります。



本作には賛否両論あると思いますが、なにはともあれ完結おめでとうございます。
戦闘も含め、華アワセの世界を満喫できたことは、素直に楽しかったです。
お疲れ様でした。
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