DEATH STRANDING 感想

  • 2019.12.22 Sunday
  • 19:51
DEATH STRANDING


17歳以上対象、メタルギアシリーズで有名な小島秀夫最新作。
「死の座礁」というタイトル通り、愉快な雰囲気の作品ではないです。
万人受けはしないですが、刺さる人にはとても愛される作品だと思います。

ノーマン・リーダスとマッツ・ミケルセンが好きな人は楽しめます。
二人は作中とても輝いています。
ノーマン・リーダスもそうですが、マッツ・ミケルセンの輝き方が尋常じゃない。
マッツ・ミケルセンが好きならそれだけでおすすめです。

また、レア・セドゥ、リンゼイ・ワーグナーなどキャストが好きな人も◎。
ストーリーを楽しみたい人用のベリーイージーモードがあります。



デスストを楽しめる可能性が高い人

・ノーマン・リーダスが好き
・マッツ・ミケルセンが好き
・出演している主要なキャストが好き

・伊藤計劃が好き
・小島秀夫(または氏の構築する世界観)が好き

・おつかいが好き
・ストーリー重視のゲームが好き

・音楽のよいゲームが好き
・雰囲気のある作品が好き ※ずっとそんな感じです


ストーリーよりも戦闘やアクションを楽しみたいという人には退屈に感じるかもしれません。
単純明快なストーリーや、プレイしていて戦闘で爽快感を味わいたいような人には
はっきり言って向いていません。
小島秀夫監督のシナリオ、伊藤計劃系の雰囲気が好きじゃない人もやめたほうがいいです。
他の作品を探すことを推奨します。

また、小島秀夫監督が想定するターゲット層から乖離していそうなので
そもそもお呼びではなさそうですが、明記したほうがいいと思うので記載します。

妊娠・出産においてトラウマのある方はプレイがきついと思います。
特に流産経験者は、フラッシュバックが起こりかねないので
プレイ前によく考えたほうがよいです。
ストーリーが悪いという意味ではなく、関連するものを見るだけで
心を抉られるような気持ちになって辛い、という人には推奨しません。
ただ、ある程度自分の中で折り合いがついている人は、
最後までプレイすれば楽しめる可能性もあります。

作品としてこうした要素を貶めているわけではありません。
ほぼ最初から最後までBB(ブリッジベイビー)は中心的要素として物語に絡みます。

余談ですが、デスストをやりすぎたせいで、電車で赤ん坊が泣き出した際に
とっさに「あやさなくちゃ」と考えるようになってしまいました。


見てわかると思いますが、グラフィックは最初から最後まで非常に美しいです。
ノーマン・リーダスやマッツ・ミケルセンの魅力が惜しげもなく放出されます。

本作は「つながり」を重視しておりますが、プレイヤー同士で
非言語的コミュニケーションを楽しめる点も魅力のひとつ。
言動でそうと示さなくても、お互いの存在があって、誰かの足跡や看板に
勇気づけられるような、付かず離れずの距離感によるつながりを楽しめました。

ゲームのほとんどが移動に費やされますので、もうちょっと景色を楽しめたら嬉しかった。


既に橋などの施設を先行プレイヤーが築いているため後発組は楽しめない、
という意見が見られますが、まず構築した施設は時間経過によって劣化します。
存続には後発プレイヤーの資材投入が必要になります。
つまり、消えずにずっと残っている施設は必要性が高いから残っています。

各施設は消そうと思えば自分で破棄できますが、移動ルートの選択は自由かつ、
持てる荷物には制限がありますので、一人での攻略はしんどいと思います。

ギリギリの荷物と残り少ないバッテリー、というような状況では
先行プレイヤーのハシゴや橋、セーフハウスなどを見つけると
ほっとすることのほうが多いです。
特に看板は、道が間違っていないことがわかります。

また、行ったことのない目的地に到達するまでは、
先行プレイヤーの構築した建造物は出現しません。


なにもかもが事前にお膳立てされて退屈、ということはないかと。
他に施設があるとわかっていても、自分用に作りたくなるので
あんまり気にしなくていいと思います。


本作の登場人物は誰もが欠落を抱えています。

作品としてのメッセージ性はかなりはっきりとしています。
特に「分断社会」、あるいは「分断するアメリカ」というテーマは昨今のトレンドですね。
現代社会への風刺や、承認欲求による暴走、テロリズムの否定、
分断と対立ではなく、協調と融和(橋をかける)というモチーフが活きていました。

つながりによって徐々に前を向けるようになる、夜明けの空を見るような
やわらかな希望が感じられる作品でした。


細かい不満点もありますが、インパクトのある作品であることは間違いないです。
各施設との交流イベント的なものがとても単調であることは否定できません。
というのも人の大部分は都市にいて出てこないし、
プレッパーズ(孤立主義者)もほとんどホログラムでしか
姿を現さないのは、まあ予算などの大人の事情なのかなあと思いました。

UIの文字が小さいのは間違いない。アプデで修正されたようですが。


以下ネタバレ感想。



座礁する<死>


あらゆる命は、誕生した瞬間から死に向かって歩み始めます。

本作では、本来ならばあの世に在るべきもの、死の世界のものたちが<座礁>し、
あの世とこの世の境界線がゆるやかに消えていく世界が描かれます。

決して抗うことのできない死へ、命はどのように向き合うべきか。
どうせ死ぬのであれば、生きることに意味はないのか。

生きるとはどういうことなのか。

避けることのできない死を前にして、命はどう在るべきなのか、
古来から幾度となく問われ続けてきた、生命の根源的かつ原始的な問いに対して
真摯に問いを投げかけ、ひとつの答えを出した作品だと感じました。



欠落を抱える登場人物


<母>になろうとする女と、<父>になろうとする男


サム(Sam、あるいは何者でもないSome/ノーマン・リーダス)
接触恐怖症を抱えるサム。
彼は過去のトラウマにより、つながりを強く拒否しています。
握手をすべて避ける仕草が象徴的です。

言葉遊びが活きていました。

サムは、何者でもないサム・ポーター(Some Porter)から、
やがてサム・ストランド(Some Strand/ストランドは紐の意)、
そしてサム・ブリッジズ(Some Bridges/ブリッジは橋)へと
変化していきます。

物語の冒頭、安部公房の「なわ」の引用から、棒は悪い空間を遠ざけ、
なわは善い空間を引き寄せるもの、と示されます。

点でしかなかったものをサムが線として結んでいき、
やがて誰かの架け橋となっていく。

監視社会へのアンチテーゼなのか、手錠型端末は皮肉なデザインです。
最初は自分を縛るものだった手錠型端末は、やがてなくてはならない情報端末になります。
でも、最後はその手錠型端末なしで、大自然をみずから歩いていくことを余儀なくされる。
この一連の流れは示唆的でした。

エンディング、死体処理班イゴールのハシゴなどに助けられて死体焼却所に向かう、
この過程は物語の冒頭と現在を強く示し、比較を促すものです。
かつて、つながりを否定する、何者でもなかったサム(Some)。

死体焼却所でサムはまたひとつの選択をします。
それは、つながりによって生かされてきたサムが、
次はBBとのつながりを護るという決断でした。
サム・ブリッジズ(Some Bridges)は、命を次の世代に受け渡す橋になる、という
隠喩でもあります。

親から子へ、父から子へ、母から子へ。

いびつな始まりだったけど、サムにとってブリジットは紛れもなく
唯一無二の母でした。

子を生かすためにみずからを犠牲にする父、そして母の姿を目の当たりにして、
サムもまた、子を生かすために親になる決意をする、
すっきりとしていて美しい流れでした。


本作ではメタ要素もあります。
加えて、要所要所としてプレイヤーのサムとの同一化を
意図的に避けようとするような演出がありました。

終盤で苦労して東にたどり着いたサムを抱擁で迎えようとするロックネを
拒絶する様子であったり、ヒッグスの「難易度調整」発言であったり。
サムを帰還させるときの演出も、プレイヤーの視点からサムを俯瞰するものです。

サムはサムで、プレイヤーはプレイヤー。
これはつまり、サムは一人の自我の確立した人間であることの証左なのかもしれません。
サムに感情移入することは歓迎するけど、同一化させず、
あくまでもプレイヤーとしての視点に留まるよう促すことで、
作品としてはプレイヤー一人ひとりに、我が身を振り返ってほしいのかな、と感じました。
もしくは、プレイヤーにはそれぞれの人生がある、という意味もありそうです。

妻子を喪った絶望から、つながりを固く拒絶したサム。
そんなサムは、やがてBBに心を開いていきます。
同志的な連帯感を覚える相手としてハートマンに共感を示す場面が印象的でした。
生きながらにしてビーチをさ迷うハートマンの姿は、
生きながらにして死んでいるサムの姿にも重なります。

しかしクリフを通して、自分もまたずっとつながりによって生かされてきたのだと悟り、
父から子へのメッセージを受け取る場面はとても良かったです。

クリフからBBを護ろうとするうちに、誰かを護ろうとする気持ちが
自分を強くするとサムは気づきます。

そしてクリフのBBへの最期の独白で、クリフもまた、
つながりによって弱くなるのではないかという恐怖と、
その恐れは間違っていた、という気持ちが語られるのもよいですね。

この最期の場面で、リンゼイ・ワーグナーの絶望の泣き声が耳に残っています。
胸をつかまれるような絶叫でした。

ここで、BBとサムの真実が明らかになるしかけはとても良かったです。

血が少ないとセーフハウスで倒れ込むようにして寝たり、
シャワーではBTの泥と血で細かくパターン分けされてたりと、
なにげに芸が細かい。ノーマン・リーダス愛されすぎ。



クリフォード・アンガー(マッツ・ミケルセン)

崖を象徴する人物。
BBとのつながりで垣間見える残像というのが真相を表しています。

真相で明かされるからくりにびっくりしました。
あれほどつながりを否定していたサムが、無駄とわかりながらも
クリフとBBを身を挺して庇おうとする場面はとてもよいです。

とても理不尽な目にあって気の毒でならないですし、恨むのもやむなし。

ブリジットの業の重さを感じました。

兵に「進め」の号令をかけたり、タバコを吸ったりするシーンがいちいち格好いい。

サムのビーチに、赤子のサムを迎えに来ていたクリフが、アメリの姿を見て
未練を残しながらも海へと引き返していく残像がとても切ない。



ブリジット

色がとても印象的に使われていました。

本作では医療従事者は赤い服を来ています。
アメリの赤いワンピースも非常に目を引くものです。

赤は危険、警告を表す色です。

デッドマンも最初は赤いジャケットを着ているのですが、
ブリジットの死後、黒いジャケットになります。

この作品で黒は喪服、死を表す色として利用されています。

ラスト・ストランディングの回避が不可能になったとき、
アメリのワンピースは黒い喪服になりました。

そして、サムとのやり取りによって、ずっと歌っていたロンドン橋の童謡のように、
橋をかけるための人柱になる決断をし、自分のビーチを他の全員から
切り離した後、アメリのワンピースはようやく白になります。

白は浄化を表す色として採用されています。

彼女は一貫してずっと、「I will be waiting for you on the beach」と、
「ビーチで待っている」と言っているのですね。
「エッジ・ノット・シティまでカイラル通信をつないでほしい」とは言いますが
エッジ・ノット・シティで待っている、とは言わないのです(たぶん)。

(あの世とこの世の境目である)ビーチで待っている、としか言わないので、
アメリが生きている可能性は限りなく低いだろうなとは感じていました。

ずっとロンドン橋の童謡を歌っていたアメリは、本当は心のどこかで
この結末を理解していたのかもしれないと思いました。

本編ではロンドン橋の童謡を歌いながら海に向かう、という行動が繰り返し描かれます。
ロンドン橋の人柱は、アメリだったのか、アメリ以外の人類だったのか、
どちらにも解釈できます。

一人で死ぬのは寂しく、辛い。
でもサムの抱擁によって、アメリは命を次へとつないでいくために死ぬ、
みずからの役割を受け入れられたのだと思いました。

ずっと英語版でプレイしていたのですが、字幕ではアメリのセリフは
「絶滅は<希望>である」となっています。

アメリは英語では「Extinction is an opportunity」と言っています。
種の絶滅は、命の消滅を避ける好機である、ということですね。

他のすべての命の消滅を避ける代わりに、種の絶滅を選択する。
これが第六の絶滅であり、絶滅体であるアメリの役割でした。

しかし、種の絶滅をあと少しだけ伸ばすために、アメリは孤独な死を選びます。
それは、次の世代であるサムと、サムのつないできたもののためです。

私はここで初めて、ブリジット(アメリ)は、アメリカ大統領として、
種の<母>としての役割を果たしたものと解釈しました。
同じ絶滅体であったママ―も<母>でした。少なくとも<母>であろうとしました。


サムは絶滅体の一部ではありますが、主な絶滅体としてブリジットとママ―が
選ばれたのは、<母>、あるいは<親>になろうとしていたから、とも解釈できます。

なにかを生かすために自分を犠牲にする。

その覚悟ができるのは、なにかを護ろうとする<親>であり、<子>だから、というのが
作品のメッセージだったのかもしれません。



本作では<母>になろうとする女性たちが印象的に描かれます。

子どもを作れない身体であるにも関わらず無理矢理にでも母になろうとする女たち。

そして、サムの亡き妻ルーシー、クリフの妻リサは、
<母>になる夢が叶わなかった人たちでもあります。

子を奪い、数多のBBを人柱にしたブリジットの業は深いです。
でも彼女なりに絶滅体として絶滅夢を見て、種の絶滅を避けるために
赤子を犠牲にしてカイラル通信をつなごうとしたのであって、
橋をかけるためになにかを犠牲にする、という役割が、
ブリジット(アメリ)、ママーだったのだと思います。

これは妊娠出産の危険を犯すのが女だからなのかなと思いました。

クリフとサム、そしてフラジャイルの父は、子を護り育て、
次の世代へなにかを伝える<父>としての役割が強く出ていました。

全体として陰陽思想や、集合的無意識なども参考にした作品のように感じました。
ところでサムと二人、マリオとピーチ姫の例えや、キャッキャウフフと海岸を走るシーンは
正直見ていて寒いなと思ってしまったのですが、それは絶対にありえない未来だからこそ、
絵空事としてあのような描き方をしたのかなあと感じました。

ヒーローがお姫様を助けて大団円。
そうあれたらそれは素晴らしいことだけど、それは叶わない。

選択には犠牲が伴う。

親であるということは、ヒーローであること、お姫さまであることと
必ずしもイコールではない。

それは泥臭くて惨めだけど、それでも諦めずに、次の世代に受け渡すために
力を尽くすことである、というものが、作品全体を通したメッセージでした。

だからクリフの脱出作戦は無残に失敗します。
クリフはほとんど犬死というような、理不尽で惨めな最期を迎えてしまうのですが、
でも、BBを護ろうとしたクリフは格好良かった。

人は生きるために泥臭くあがく。
しかしその姿勢の肯定が、作品の答えなのだと考えました。



フラジャイル

意味は「壊れもの」。
外見は時雨によって老いても、内面は強い、という真の強さが描かれたフラジャイル。
時雨を飲んで、死んでいながらも生きているように振る舞っていたママーと対比になっています。

フラジャイルは父の意志を継いで、人のためにものを運び続けます。
つまり、意志を受け継いだ子の立場として描かれている。

ヒッグスへの復讐はなされなかったみたいですが、自殺するか、
一人でビーチを永遠にさ迷うか選べという問いは
殺すよりもある意味で冷たい、突き放した対応なのかもしれません。

ヒッグスはフラジャイルに自己犠牲か、他人を犠牲にするかを迫りました。
フラジャイルは数多の人のために首から下を老いた身体にする選択をして、
他の命を生かすために犠牲を払っています。

子を生すだけが次の世代へ受け継ぐということではない、という意味で
前世代から次の世代へ意志を受け渡す<子>という、重要なキャラクターでした。

フラジャイルがアメリに牽制されていたのは、
アメリの、サムを奪われまいとする執着によるものと解釈しました。



ママーとロックネ

時雨を飲んで赤子だけで済んだのなら幸運だと思っていましたが、
まあ設定からしてママーがただで済んだわけがなく……。

ロックネとの融合によって死を超越する流れは、
融和を謳う本作を象徴していました。

赤子をロックネから奪ったように見えたママーは、
実際はただひたすら赤子を生かすために力を尽くしていたという真実は、
ブリジット/アメリの真相を彷彿とさせます。

クリフはロックネの立ち位置にいたわけですが、真実を知って
ロックネがママーを赦した展開から、クリフも真実によって
サムを激励し、恨みを昇華させた、と受け取っていいのかなと思いました。

ママーと赤ん坊のつながりを切らなくちゃいけないイベントは辛かった。
また、ママーがBBを直視できず、大人だけで話したい、というセリフも
彼女の心情によく寄り添っていたと思います。



BB

マンハッタンで起きた対消滅は十年前のことであり、
BBの耐用年数が平均一年と考えると、BBは別の脳死母の赤子だという解釈が
しっくり来るかな。
当時のブリジットにマンハッタンの対消滅を敢えて引き起こす
メリットらしいものがないように思います。
それで彼女は十年もの間、サムと断絶してしまうわけですし。

そもそもサムも別の誰かの子をブリジットが奪って育てたことから、
物語の流れとして、サムも別の誰かの子を育てる決意をした、と思うのが
物語としてしっくり来る気もします。

たまたまサムの入っていた宇宙飛行士キーホルダーの付いた装置に
このBBが入っていて、亡きわが子の名前をつけた、というのが自然だと思います。

だめなサムだったのでいつも転んでBBを泣かしていました。ごめんね。



デッドマン

一人だけビーチがないって、とてつもない孤独であるように感じます。
なんかこう、人間であることを根底から否定されているような感じ。

デッドマンはずっとサムの善き友でした。

エンディングでのサムとの抱擁はしみじみしました。
サムのビーチに孤独なサムを迎えに来るのが、
ビーチを持たないデッドマンと、あの世とこの世の境にいるBBというのは
面白いですね。



ダイハードマン

努力はした、という感じですね。辛い。
ダイハードマンの懺悔はしんどい。

彼はサムの他に泣いて詫びる相手がいなくて、
でも間接的にサムからある種の赦しを得られたのは、
救いでもあったのかなと思います。

彼は絶滅体であるブリジットの真意をすべて理解することまでは
できなくて、一番中途半端な立ち位置に置かれた人です。
クリフのような英雄ではなく、ただひたすら普通の人で、
そしてそんなダイハードマンが次のアメリカ大統領になったのは、
象徴的でもあるように思いました。



ヒッグス

まあヒッグスを手玉に取るなんてアメリからしたら
赤子の手をひねるようなものでしょうね。ちょろすぎ。

というかヒッグスとまともに殴り合ってくれるのなんて
サムだけだから、ヒッグスはもっと感謝したほうがいいよ。

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